あれは今から約50年前、確か私がまだ小学3年生の時であった。暑い夏の日中は、家の中でゴロゴロすることが多かった。当時、わが家にはクーラーなど無く、あるのは扇風機とうちわと網戸ぐらいであった。
ある日、あまりの暑さに、「暑いなあ。かき氷が食べたいな」と思わずつぶやいたところ、その場にいた私の父親が、「よーし、これから、かき氷機を作ってやる。15分もあればできる」と言って、家を出ていった。私も後に付いていったところ、自宅のすぐ近くの工場に入っていった。
当時、私の祖父は自宅近くの工場で、業務用の冷蔵庫を製造していた。そこには、木の切れ端がたくさん落ちていたのだ。父親は、その木の切れ端を集めて、何かを作り始めたが、15分も経たないうちに、完成したようであった。「よーし、できた。弁当箱に水を入れて、氷を作れ。シロップを買ってこい。明日から、かき氷が食べ放題だ」と父親の威勢の良い声が飛んだ。私にはどう見ても、それがかき氷機とは思えなかった。
ここで、賢明なる読者諸君に問題を出す。私の父親が製作したかき氷機とは一体何か、ここで一休みして考えて頂きたい。
さて、翌日の夜、早速かき氷を食べることになった。食卓には、氷の入った弁当箱、スーパーマーケットで購入したイチゴ味とメロン味のシロップ、そして、例のかき氷機が用意されたが、そこに、その場にはそぐわない物があったので、私は目を疑った。それは、何と、材木を削る「かんな」であった。そう、私の父親が製作したかき氷機とは、何と、かんなを置く台であったのだ。
通常は、かんなを動かして材木を削るのであるが、このかき氷機は、台にかんなをひっくり返して乗せて、動かないように固定して、そのかんなの上で、氷を前後に動かすのである。そして、かんなの下にガラスの器を置くことにより、かんなで削られた氷が、ガラスの器に次から次へと盛られていくというものである。
かんなで削ったかき氷は、最高においしかった。当初は、イチゴ味とメロン味のシロップだけであったが、かき氷にかけるシロップの種類も、どんどん増えていき、また、シロップ以外の物も使われていった。とにかく、掛かる費用はシロップ代くらいであり、安価で手軽であったため、家族みんなで、毎晩のようにかき氷を食べたのであった。
しかし、翌年は、このかき氷機の出番は全く無かった。それどころか、家庭内で、かき氷の話題が出ることも全く無かったのである。
それから、約50年の間、現在に至るまで、かき氷を食べたことは一度も無いし、食べたいと思ったこともない。そう、あの年、あの夏、たったワンシーズンで、人が一生に食べる量の、いや、それをはるかに上回る量のかき氷を食べてしまったからなのである。
(一部省略)
神奈川県 横須賀市医師会報 NO.378より