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令和7年(2025年)10月5日(日) / 南から北から / 日医ニュース

足元に咲くものたち

 暑い夏の日、汗を拭いながら患者さんの足を診ていると、ふと遠い記憶がよみがえることがあります。むくみや皮膚の色、爪の形、靴の跡―そんな小さな変化に目を凝らしていると、子どもの頃、植物と向き合っていたあの夏の日々が静かに重なってくるのです。
 わが家では「夏休みの自由研究は植物採集」と決まっていました。虫取りに行きたかった私は、しぶしぶ家族と一緒に野山へ出掛け、葉や草花を集めました(こっそり虫取りもしていましたが......)。図鑑を片手に名前を確かめながら、ビニール袋に入れて持ち帰る。袋の中には、むせかえるような青臭さと、植物独特の香りが混ざり合い、どこか懐かしいにおいが立ち込めていました。
 家に戻ると、新聞紙に挟んで押し葉にし、何日か重しを乗せて乾かします。仕上がった葉を台紙に並べ、採集日や場所を書き添えて標本にまとめていく―それがわが家の「夏の決まりごと」でした。そしてその標本を祖父に見せると、祖父はいつも図鑑を開くこともなく、名前や特徴をさらりと教えてくれました。子ども心に「どうしてそんなことが分かるんだろう」と、驚きと不思議な尊敬の気持ちを覚えたのを今でも覚えています。
 祖父―初島住彦は、植物の研究を生涯続けた人でした。101歳で亡くなるまで、毎日のように植物の研究を続けていました。「植物の世界は、知りたいことが山ほどある。死ぬまで研究を続けたい」。そう語っていたことを後に知り、その言葉のとおりの人生だったのだと、静かに胸を打たれました。祖父が80種以上の新種や新変種の記載に関わっていたことも、私は大人になってから知りました。祖父の書斎には標本箱や手書きのメモが並び、静かに執筆する姿が今も目に浮かびます。
 今の私は、在宅医療の現場で、足の診療を専門にしています。足は、その人の暮らしが最も正直に表れる場所です。皮膚の乾き方、装具の痕、爪の厚み―細かな違いの中に、その人らしさと日々の積み重ねが現れます。最近では、爪の形や足の色調、指の並びや柔軟性から、歩き方の癖や負担の掛かる部位が自然と見えてくるようになってきました。構造や動きのわずかな違いが、全身の健康に影響することもあり、その奥深さに日々驚かされます。祖父が植物を見つめ、分類し、名を与えていったように、私も足の診療を通して、その人の声にならない声を拾い上げ、支える医療を目指しています。
 こうして文章を書く機会を頂き、あの夏の植物のにおいと祖父のまなざし、そして今の自分の診療が、一本の線でつながっていたことに気付かされました。
 目立たなくても、静かに誰かに届く。そんな植物のような言葉を、これからも大切に紡いでいけたらと思います。

東京都 板橋区医師会通報 NO.523より

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