

第9回「生命を見つめるフォト&エッセー」(日本医師会・読売新聞社主催、厚生労働省・文部科学省後援、東京海上日動火災保険株式会社・東京海上日動あんしん生命保険株式会社協賛)の表彰式が2月7日、都内で開催された。
本事業は長年にわたり実施してきた「『生命を見つめる』フォトコンテスト」と「『心に残る医療体験記』コンクール」を統合、平成29年度より新たに開始したもので、9回目を迎える今回も多くの作品が寄せられた(フォト部門2872点、エッセー部門1132編)。
また、今回より東京海上日動賞(フォト部門)、東京海上日動あんしん生命賞(エッセー部門)の他、各審査員の名前を冠した六つの特別賞が新設された。
冒頭、主催者を代表してあいさつした松本吉郎会長は、多数の応募への謝意を示し、受賞作品については、「人や動物の生命の輝く瞬間を捉えた写真や、ご家族や医療関係者との心温まる交流を描いた原稿など、素晴らしい作品ばかりであり、深い感銘を受けた」と述べ、受賞者へ祝意を伝えた。
また、昨今話題になっている社会保障制度改革について触れ、「制度がどのように変わっても、医療の『人々の生命と健康を守る』という使命が変わることはない」と強調。日々の診療の他、学校健診や予防接種などの幅広い活動を連携して行い、地域の人々が安心して生活できる環境を支える医師達の働きについて、「その存在を頭の片隅に置いておいて欲しい」と述べ、日本医師会としても引き続き、医師を始めとする医療従事者の活動をバックアップしていく姿勢を示した。
引き続き表彰に入り、まず、フォト部門では「一般の部」の厚生労働大臣賞、日本医師会賞、読売新聞社賞、東京海上日動賞、熊切大輔審査員特別賞、岩合光昭審査員特別賞各1名の受賞者、「小中高生の部」の奈緒審査員特別賞1名の受賞者(文部科学大臣賞1名欠席)にそれぞれ賞状・副賞が授与された。
続いて、エッセー部門では「一般の部」の厚生労働大臣賞、日本医師会賞、読売新聞社賞、東京海上日動あんしん生命賞、養老孟司審査員特別賞各1名の受賞者(玄侑宗久審査員特別賞1名欠席)、続いて、「中高生の部」「小学生高学年の部」「小学生低学年の部」の文部科学大臣賞3名と、養老孟司審査員特別賞、玄侑宗久審査員特別賞各1名、水野真紀審査員特別賞2名の受賞者に、それぞれ賞状・副賞が授与された。
その後の審査講評では、フォト部門審査員を代表して熊切大輔日本写真家協会長が、今回の受賞作品について、回を重ねるごとにレベルが上がっているとの所感を述べた上で、昨今の生成AI画像の進化について言及し、「真偽の分からない写真が世にあふれるようになったが、だからこそ、その場で心が動いた瞬間にシャッターを押すということが、実はますます重要になってきていると思う」と強調した。
また、良い写真を撮るコツとして「目線の高さを変えてみること」などを紹介した上で、「これからも素敵な日常、笑いがあふれる日常を撮り続けて欲しい」と述べ、受賞者の今後の活動に期待を寄せた。
エッセー部門審査員を代表して養老孟司東京大学名誉教授は、選考を振り返り、写真やエッセーを始めとした表現行為が、それを見た人の心を動かすことの不思議さをいつも感じているとした上で、エッセーを書くに当たっては「特別な出来事の経験や"もっともらしい文章"ではなく、自身の心が動いた一つの体験について、どこまで深く詰めて考えて言葉にできるかが重要であり、そのように表現されたものを読んだ誰かが、また心を動かされる。これがアートの本質である」とした。
また、今回の審査に関しては「素直にどれだけ自分の心が動かされたかでも評価した」と述べ、改めて受賞者を祝福した。
表彰式後のレセプションでは、受賞者から写真の説明やエッセーを書いた経緯などの話があった他、審査員から受賞者に対して、どうしてこの作品を選んだのかといった講評が伝えられるなど、盛会のうちに会は終了となった。
※なお、来年度につきましては、「第10回生命を見つめるフォト&エッセー」を開催する予定としていますので、ぜひ、ご応募願います(応募方法などの詳細は後日に公表予定)。
フォト部門 一般の部 日本医師会賞
「笑顔腕力勝負」
佐藤 萌(さとう もえ)
東京都・41歳 ※年齢は応募締め切り時点

エッセー部門 一般の部 日本医師会賞
「完治と閉院の日に」
神社 昌弘(かんじゃ まさひろ)
東京都・47歳 ※年齢は応募締め切り時点
2025年8月13日、暑い夏の午後。
ポストを開けると、1通のはがきが目に飛び込んできた。差出人は、T医師。
「80歳を超え、10月に閉院することを決断しました」
そう書かれていた。
開院から26年。僕は、そのほぼ最初からお世話になってきた。
20歳の時、繰り返す肛門疾患で8度も手術を受け、1年経っても治らず、消化器専門のT先生の元を訪れた。当時、病院は恐怖の象徴。手術台や検査台は、痛みと屈辱の場所だった。だから、初めて会ったT先生も怖く見えた。
検査が始まり、内視鏡が挿入される。先生は、生々しい傷跡を見て言った。
「これは大変やったな、痛かったやろ」
その一言に、胸の奥で何かがほどけた。
そして、病名が告げられた。
「クローン病」
指定難病で、現代の医学では治らないと言われた。21歳の僕は、頭が真っ白になり、帰り道を覚えていないほど動揺した。
父を早くに亡くし、母の重荷になるのではないかという恐れと、先の見えない不安に押し潰されそうだった。
最初の4年間は、まさに地獄だった。
固形物は一切禁止。鼻から細いチューブを通し、栄養剤だけで生きる日々。1日分の栄養を9時間かけて滴らせる。何度も挫折し、3度、自ら命を絶とうとした。それでも、母も先生も僕を諦めなかった。
ある夜、挿入がどうしてもできず、泣きながら先生に電話をしたことがある。
「スプーンで一匙(さじ)ずつ飲んでみなさい」
不味くて到底飲めやしない。反抗もした。
「なんでこんな原始的な治療しかないんだ!」
それでも先生は言い続けた。
「これが君にとって一番だ。入院せず、自分の生活を守れる方法や」
その言葉は、不思議なほど胸に残った。治療は苦痛でしかなかったが、先生の言葉には未来を見据える強さがあった。僕が病院に縛られず、自分の足で立っていくために。そのための選択だと、少しずつ理解していった。
やがて僕は一人暮らしを選び、病院の近くで治療を続けた。母や姉が食事を避ける姿に胸を痛め、孤独と闘いながら、ただ「元気になる」ために。
それから四季は何度も巡り、僕は、チューブを通す違和感にも慣れていったが、心のどこかでは「この苦しみは一生続くのではないか」と怯(おび)えていた。
4年後の内視鏡検査で、先生が言った。
「よく頑張ったな。もうチューブはやめていい」
その瞬間、全身から力が抜けた。
解放感と同時に、食べ物への執着は不思議となかった。
闘病中に本を読みあさり、クローン病患者会を立ち上げ、世界の厳しい環境で生きる人々を知り、すでに「食べられること」そのものが奇跡だと学んでいたからだ。
あれから26年。今では普通に食事をし、酒も飲む。薬もやめ、指定難病の更新申請もやめた。
今年、5枚にもわたる感謝の手紙を先生に送った。
その1カ月後、閉院の知らせが届いた。
それはまるで、僕の回復を見届けてから病院の幕を下ろすかのように。
もしあの時、先生が諦めていたら......もし、僕を突き放していたら......今の僕は存在しないだろう。
先生の冷静さと温かさ、その両方が、何度も死の淵から引き上げてくれた。
僕の中で、先生は「医師」である前に、人生の恩人であり、命の伴走者だ。先生、本当にありがとうございました。あなたの冷静さと、決して諦めない姿勢が、僕の命をつなぎ、人生を取り戻してくれました。ありがとうの一言では足りない。それでも、言わせてください。ありがとうございます。
あなたがいなければ、僕は今ここにいない。その事実だけが、全てです。この命の鼓動が続く限り、あなたから受け取った時間を、誰かの希望に変えて生きていきます。
最初は定職さえ難しかった僕が、やがて海外で働き、研修を受け、今ではカウンセラーとして独立して10年。これまで3万件の相談に向き合ってきました。
あの日救われた命で、今度は誰かの命を支える......それが、僕にできる、たった一つの恩返しです。
| お知らせ |
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「第9回生命を見つめるフォト&エッセー」の全ての受賞作品は、下記の公式ホームページでご覧頂けますので、ぜひ、ご覧下さい。公式ホームページ https://jigyou.yomiuri.co.jp/photo-essay/ |

「第9回生命を見つめるフォト&エッセー」の全ての受賞作品は、下記の公式ホームページでご覧頂けますので、ぜひ、ご覧下さい。

