広島市の西の郊外に、かつて西日本一のレジャー施設があった。対岸の宮島を一望できる、当時東洋一と言われた大観覧車と、海の上を滑走するように敷設されたジェットコースターが人気で、夏ともなると、園内を一周する流水プールや実物の豪華ヨット"ナタリー号"を設置した波乗りプールは、たくさんの家族連れや若者であふれ返っていた。その名も"ヒロシマナタリー"。開園当初、ここのイメージキャラクターを務めていたのは、ブレイク前の3人組アイドルグループ"キャンディーズ"。たまに園内のイベントにも出演していた。
その頃に大学生だった私は、夏休みの間、ここでプール監視員のバイトをした。これには三つの目的があった。一つ目はもちろん小遣い稼ぎ、二つ目は目の保養、そして三つ目は夏休みが明けた時、真っ黒に日焼けしたたくましい体に変身して念願の彼女をゲットすること。
主な仕事は、溺れている人やけが人などの監視と救護だ。しかし、そんな場面に遭遇することはめったになく、プールサイドを走り回ったり、危険な飛び込みをするガキ共を注意することがほとんど。たまに、水着以外の着衣で泳ぐ輩を見付けたら、注意することも仕事の一つだった。
ある日、グラサンでシャツを着たまま遊泳中の男性を見付け、拡声器で注意を促した。初めは無視されたが、しつこく続けているうちに突然その男性は、ものすごい剣幕でプールからはい上がり、シャツを脱ぎ、びしょ濡れのそれを私に投げつけてきた。呆気に取られた私の目の前には、全身タトゥーの男性がまさしく仁王立ち。「孤狼の血LEVEL2」の鈴木亮平ばりの迫力だったと思う。「わりゃ、簀巻(すま)きにして海に放りこんじゃろか!」とその筋の常套句(じょうとうく)で凄(すご)まれたと思うが、その時、既に頭の中は真っ白で、その後の記憶も無い。
当分の間、裏口からこそこそ隠れて帰ったので、幸い簀巻きにされることもなく、いつしか秋の気配を感じる頃になった。当然こんがりと日焼けしたたくましい体に変身しているはずだった。しかし、よく考えると、私のような色白でか弱い肌の持ち主が、こんがり焼けるなどという器用なまねができるはずがない。バイト最終日に、バイト仲間から「胴上げからのプール逆落とし」の手荒な"別れの儀式"を受けたその夜、悪寒と高熱が出て、翌日病院に倒れこんだ。全身火傷を合併した流行性感冒と診断され、夏休みが明けても、しばらく床に伏せったまま。やっと大学に戻れる状態になった頃、身は痩せこけ肌はボロボロで、夏休み前よりも更に貧相な体に変身していた。
イベント後の疲れ切ったキャンディーズの面々を見掛けたが、そんな彼女達が瞬く間に日本中を席巻するスーパーアイドルとして、その一時代を築こうとは夢にも思わなかった。そしてそんな時代も、今となってははるか遠い昔の束の間の出来事になってしまった。「おかしくって涙が出そう」だった私のひと夏の経験。



