2019年5月1日
第2回 生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー 受賞作品
一般の部【厚生労働大臣賞】
「恩返しと恩送りの決意」
門脇 利枝(40歳)広島県
28歳の時、私は介護離職した。
当時の私は東京で働いていた。両親は東京から父の実家のある広島に移り住んでおり、80代半ばの祖父母と同居していた。
祖父は心臓病で入退院を繰り返しており、祖母は
友人や同僚は私の将来を心配してくれたが、私は人生の選択を誤って後悔したくなかった。
母が発病した時、生命の
私が加わったことで、父の負担は減り、母も気を遣わず休めるようになり、祖父母も若い者がいれば安心だと言って、状況は落ち着いてきたかのように思えた。
そんな矢先、父が交通事故に遭った。その結果、左足を切断し、脳に障害を負った。それが高次脳機能障害だとわかったのは、退院後のことだった。当時は事故によるショックが原因で情緒不安定なのだろうと判断された。
病名が付いていないことで、父のおかしな言動はなかなか周囲の理解を得られず、誰彼構わず怒鳴りつける父から目が離せなかった。朝から晩まで付き添っていても、買い物に出た際や、帰宅後の夜中に、「手が付けられない。」と呼び出されることも何度かあった。
看護師の皆さんは私に同情的で、いつも父のことを話す時は言いにくそうだった。しかし、他の患者の方々の迷惑になるということで、最終的には強制退院の話が出てしまった。
私は次第に追い詰められていった。病院では父に暴言を吐かれ、周囲に頭を下げて回り、疲れて家に帰れば、体調の優れない母と、認知症の症状が出始めた祖父、鬱状態の祖母がいた。親戚からは私だけが頼りなのだからしっかり面倒を見るように言われ、気の休まる時が無かった。しかし、気が張っていたせいか、どんなに息苦しくても涙は出なかった。
誰に感謝されるわけでも、褒められるわけでもない。そんな毎日の中で、たとえば友人の昇進、結婚、出産の報告を聞いた時や、就職情報誌で年齢制限が35歳までの会社が多いと知った時などは、自分の将来を不安に感じ、人生の選択を誤ってしまったかもしれないと思うことがあった。
そんなある日、父が若い看護師さんに迷惑をかけたと聞き、いつものように謝罪に行った時のことだった。頭を下げる私の手を、看護師長さんがそっと握った。驚いた私は看護師長さんの顔を見た。その目には涙が
「私はあなたを尊敬する。」。最後にそう言われた瞬間、思わず涙がこぼれた。
状況が変わったわけではないが、思いきり泣いたお陰で、私は吹っ切れたような気持ちになった。その後も看護師長さんは私を気にかけてくれ、すれ違いざまに目配せしてくれたり、背中をさすってくれたりした。
退院後しばらくして、父は高次脳機能障害専門の病院に移ることになった。母のこと、祖父母のこと、そして父の事故の裁判のことなど、相変わらず忙しい日々が続き、
広島に来てから11年が
私が自分自身を認められるようになったのは、あの時、看護師長さんが私を認めてくれたからだ。誰かに認めてもらえることが、こんなに嬉しく、こんなに心を強くしてくれるのだということを、私は初めて知った。
これから私は再び社会に出る。不安がないわけではないが、これまでの経験を人の
それが看護師長さんへの恩返しであり、
受賞作品を読んで
「恩返しと恩送りの決意」は、単に介護のことだけではなく、若い世代が物事に対処していく有り様をよく伝えている。こうして人は成熟し、大人になっていく。「逃げない」ことは大切である。私も多くの「逃げた」人を知っている。でもじつは逃げ切ることはできない。逃げないことによって得られるもの、それは本人である。本人が成熟する。昔の人はそれを修行とも呼んだ。なにかを成し遂げようとするとき、人はその作業の目的、その価値を問おうとする。しかしそれを成し遂げる過程で、じつはかけがえのない作品が生み出される。それはその人そのものである。人生が一つの作品になる。その完成度は、横並びで測れるものではない。
(養老 孟司)