医師のみなさまへ

2019年5月1日

第2回 生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー 受賞作品
一般の部【日本医師会賞】

「人生のしまい方」

鶴田 智子(52)福岡県

 「笑ってさらばと死んでいく。」おどけたように手を挙げていつも父は言っていた。痛みに人一倍弱くて若い頃指を怪我けがして出血し怖くて産婦人科に駆け込んだエピソードもあった。私達家族は父の最期は「痛い、苦しい。」と大騒ぎするんだろうねと笑って話していた。

 父は数年前から肝細胞がんで毎年入院し、その度に「病院にいると病気になる、家に帰りたい。」と私達を困らせた。父はジッとしているのが苦手で、盆栽や庭の手入れをしていると思えばスポーツ新聞片手に大好きな競馬予想をしたり、録画したドラマを見たりと好きなことをやっていた。父が家に居たいのはそんな日常生活ともう一つは母のためだった。数年前から難病を患い認知症が加速した母が気がかりだったのだ。昔から仲の良い夫婦だったが病気以後父は常に母と一緒にいた。そんな父の気持ちも酌んで在宅でという思いはあったが、現実にやれるか不安も大きくまだ漠然として実感も覚悟もなかった。

 ところが今年2月、吐血して救急搬送され医師から一日一日大切にと余命宣告があり、父の最期をどう迎えるか決断する時がきてしまった。両親は姉と三人暮らしで父の希望通り在宅でとなると、仕事をし病人二人の世話をする姉の負担は大きい。両親を一緒にいさせたい、出来る限り普段通り生活する為家族全員が協力する、痛みや苦痛は極力排除してもらう、家族の気持ちは一致した。明るく前向きな姉が「どうにかなるよ。」と笑っていたのが心強かった。

 担当医に相談すると緩和ケア外来を勧めていただいた。終末期の患者の為に毎日看護師さんが自宅を訪れ、必要に応じて医師の診察も自宅で受けられる。長い待ち時間の通院もなく父の体の負担も軽くなり、家で好きな様に生活しながら病院と連携しているのは父にとっても家族にとっても理想だった。

 6月初め、もって今月いっぱいと言われる程に父の身体は限界だった。けれどやりたい事をやり、自分より母の世話をして「本当にばあちゃんの事大好きよね。」と孫達に笑われた。けれど末期の痛みやかゆみ、脱力感に襲われ八つ当たりし姉と口喧嘩くちげんかする事もあった。しかし、看護師さんや先生が父の症状、愚痴ひとつひとつを親身に聞いて薬を替えたり、症状が和らぐ治療を施して下さった。

 そんな時孫達の提案で父の日と誕生日のお祝いをする事になり家族全員が集まった。父の好きな料理、競馬の馬をデコレーションした特注ケーキ、父は本当にうれしそうだった。乾杯の前には感謝の言葉をスピーチし、お得意の宴会芸バナナのたたき売りまで披露し、アルバムを見せ昔話を聞かせてくれた。上機嫌でみんなに競馬予想をさせ、中継を見ながら盛り上がった。父だけでなく家族みんながしゃべって笑って楽しい時間を共有した。

 翌朝5時過ぎに携帯が鳴った。「お父さんが吐血した。今日が峠らしい。」姉が泣いている。駆けつけるとまだ意識ははっきりしていた。最期は病院には行かない、延命措置はしない、痛みだけ和らげる、父と家族の希望通りの最期の治療が施されていた。家族がベッドを囲み、間に合わない孫達は電話越しに「ありがとう。」「頑張ったね。」「大好き。」とそれぞれの思いを告げ、大好きな母が手を握りしめ、父は静かに人生の幕を閉じた。昨日の誕生会からわずか十数時間後だった。

 家で死にたいと言った父はそれをかなえる事が出来た。それは患者と家族に寄り添う医療と出会えたからだった。父の普段通りの生活を理解し受け入れ、治す治療だけでなく、「今日も花がキレイだね。」と自慢の庭を褒め、世間話しながら父の人生最後の生活に家族と共に寄り添って下さった方々のお陰だ。

 内閣府の調べで最期は自宅で迎えたい人が半数を超えるが実際は1割だという。治す事を目指し発展し続ける医療の中で緩和ケアや在宅看護の選択肢はまだ少数だ。しかし終活という言葉も耳にする現在「生き終い方」を考える人達も増えていると思う。

 有り難い事に父は最期まで父らしく生き、家族も私達らしく見送る事が出来た。家で好きな事をする姿も、姉と本気で喧嘩する姿も、母の世話を焼く姿も、笑って怒って泣いて全てが日常だった。延命や治す為の医療を拒否して自宅で最期をと言っているのではなく、医療機関と連携をとり誰しも訪れる最期の日までいかに自分らしく安心して生きるかを、自分自身と家族で決める事が出来れば素晴らしいと思う。それを教えて下さった先生や看護師さんには心から感謝している。

 私が人生の幕を閉じる頃には、自分で決めた「人生の終い方」に寄り添う医療が発展しもっと身近になってるといいな、と話しかけると遺影の父が微笑ほほえんでいる。

受賞作品を読んで

終わり良ければすべて良し、とも言うけれど、「人生の終い方」はそれほどに大切だろう。鶴田さんはご自身の父親を「父らしく」見送った経験をつぶさに報告してくださった。「家で好きな事をする姿も、姉と本気で喧嘩する姿も、母の世話を焼く姿も、笑って怒って泣いて全てが日常だった」とおっしゃる。また「家族も私達らしく見送る事が出来た」というのだからすごい。なにより凄いのは、競馬中継付きの誕生会から十数時間後にその時が訪れ、お互いが楽しかった時間を胸に抱いたまま別れられたことだろう。
むろんそれを支えた医療者の働きもあったはずだが、まずは多くの人々にそんな「終い方」もあるのだと、知ってほしい。

(玄侑 宗久)

第2回 受賞作品

受賞作品一覧

生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー