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令和2年(2020年)8月20日(木) / 南から北から / 日医ニュース

思い出のハキモノ

 「ズック足袋(たび)」
 昭和30年代の小学校の運動会の必需品と言えばこれ。運動足袋、マラソン足袋とも言われ、色は白。普通の足袋を浅くしコハゼではなく縫い付けられたゴムで装着する。底はゴム製。運動会が近くなると、呉服屋さんの店先に並び、大抵前日に買いに行く。たいして足が速いわけでもないのに、新しいズック足袋を買いに行く時のテンションは高い。
 「ごめんください。ズック足袋8文半(もんはん)お願いします!」
 普通のズックの時とは違って、1文=2・4センチメートルという単位で買う。毎年半文くらいずつ大きくなっていくので、母に「今年は何文にしたらいい?」と相談する楽しみもあり、自分の足の成長を客観的に確認できる機会でもあり、特別な買い物だった。
 運動会では、午前と午後の分2足買うリレーに出る俊足の人達と違って、1足で何とか最後までもたせて使ったが、すぐに縫い目から穴が開き、それが気になって、もともとそれほどでもない実力が発揮できたのかどうかは定かではない。
 その頃は、プロレスの全盛期で、ジャイアント馬場がバッタバッタと悪役レスラーを倒していた。伝家の宝刀の「脳天唐竹割り」と「16文キック」。16文とは私の2倍、さすがジャイアント馬場!と感動した記憶がある。
 ところが、後になって16文というのは報道関係者による間違いで、本当の足のサイズは34センチ、約14文だったということを知った。でも8文半の私にとって、やっぱり「16文キック」で良かったと思う。
 「ゴム短」
 薄手のゴム長をスパッと切って短靴にしたようなシンプルな靴で、下校時には友達と水たまりがあるとわざわざ踏みこんで、靴の中に水を入れて、ギュッギュッと音を出して遊び、家に帰るとよく叱られた。
 ゴム長より消耗しやすく、穴も開きやすく、何しろ足の成長が早かったので、すぐにきつくなってしまう。靴の底に小さな穴が開き、靴を履くのも無理矢理という感じになってきたので母にゴム短を買ってと頼んだら、「来週ね」ということになった。
 日一日と靴がきつく感じ、足に痛みを感じるようになってきた頃、近所の幼なじみが用事で先に帰って、一人で下校することになった。一人っきりで歩いているうちに、足は痛いし、寂しいし、だんだん悲しくなってきて、とぼとぼ足を引きずるようにしながら泣きながら歩いていた。
 後ろから、「どうしたの?」と声を掛けられて振り向くと、見知らぬ中年の女性。「足が痛くて......」と言うのがやっとだった。
 「お家まで送ってあげるよ。ほら、オンブしてごらん」私の前にしゃがんで背中を向けた。躊躇(ちゅうちょ)せずオンブしてもらったら足の痛みも悲しみもスーッと消えた。
 家に通ずる小路に着いた時、「お家に帰ったらお医者さんに連れてってもらいなさいね」と声を掛けてくれた。まさか、靴が小さくて足が痛かったとは、最後まで言い出せなかった。
 あの広くて温かい背中は、今でも覚えている。もし今の私が、泣きながら歩いている子どもを見つけたら、どうするだろうか。即座にオンブできるだろうか。

(一部省略)

秋田県 秋田医報 No.1567より

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