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令和5年(2023年)4月5日(水) / 南から北から / 日医ニュース

草取りは頭脳戦である

 毎年のことだが、春から夏に掛けては雑草が生い茂りやすい。土があればどこでも雑草は生える。道端のアスファルトの間隙(かんげき)にも生える。もちろん庭にも生える、いろんな雑草が生える。庭の雑草、とりわけ生け垣の下草の雑草は、衆人環視の中、住人の品位を反映している。そう思うから今の時期は草取りで忙しい。
 以前、こんなことがあった。園芸店でピンクの花が付いた草花が売られており、「これは(購入しては)どうだろう」と奥さんに尋ねたところ、「それは道端に生えている雑草よ」と一蹴された。
 雑草とは何だろう。人が美しいと認める草は価値のある観賞用草花となり、誰も見向きもせず生育を期待しなければ、価値の無い雑草と分類される。薬の(期待される)効果と(期待されない)副作用のようなものか。副作用のように嫌われるが、雑草に罪はない。先程のように雑草が突然観賞用と変身することもある。
 空き地や路肩では、清掃業者が電動式回転刃を使って、大きなうなり音を響かせ勢いよく雑草を刈っているのを見掛ける。しかし、1週間もすれば元のように雑草は生えてきて何事も無かったようになる。このやり方は実にいい加減だと言える。
 わが家での草取りはどうであろうか。雨が降っていなければ、毎日のように草取りをする。庭、生け垣の下、家の前の道端。小さなうちに引き抜くようにしている。すると、そのうちに雑草は無くなるはずであるが、現実はそうはいかない。敵は少なくなるが無くなることはない。なぜか。
 その理由は二つある。一つは、赤、白、黄、青など小さな可憐(かれん)な花を付けるものがいることである。そのような雑草は、引き抜かれるのを免れる。その訳は、わが家の奥さんが「可愛い花を付けているのは取らないでね」「ハーブだから取らないでね」と言ってくるからである。そんな奥さんからの言葉が無くても、可愛い花を目の前にすると除去しにくい。花が散るのを待って、あるいは生気を感じられなくなった後、「花が散ったから取っても良いか」と奥さんに聞き、許可が出れば引き抜く。
 二つ目は、雑草は根ごと取り除かねば絶やすことはできない。根をしっかり張って、すっかり根を取り除けないものがいることである。そのような場合は根ごと枯らしてしまう薬液を使う必要が出てくるが、大事な草木がある場合、薬液は使えない。そうだとすると、生えては引き抜くという繰り返しとなり終わりはない。そのような難敵の代表がヤブガラシである。
 ヤブガラシは、雑草としては比較的大きな部類に入る。五つの小葉からなる葉を付け、成長する茎の先端には柔らかな若葉を集め、筆の先のようになっている。成長は早い。放っておけば庭木を超えるほどの背丈にもなる。土から出たすぐの頃の茎は太くてしっかりしている。しかし、つるで伸びていく。小さければ自立しているが、伸びればそうはいかず他の木に頼る。つるであちこちに巻き付くのである。寄り添った木の枝の2カ所で、相次いでコイルのように4巻きずつ隙間なく、きっちり整然と巻き付いているつるを見つけたことがある。取り外そうとしたところ、1巻きずつ解いていく必要があり、厄介であった。つるを取り除いた後の枝を見ると、締め上げられていた跡は付いていなかったが、締め付けられていてさぞ苦しかっただろうと思いやられた。
 ヤブガラシを引き抜くのは頭脳戦である。なぜ単純作業ではなく、そんな難しそうな表現になるのかと訝(いぶか)られることだろう。ヤブガラシは、庭石や大きな植木鉢の陰にいたり、壁の雨樋(あまどい)に沿って隠れるように伸びていたり、茂った葉で覆われた庭木の幹に寄り添っていたり、縁台の下の壁際の、容易には外から見つけられない所にいたり、と発見されにくい所にいて、うまく伸びていこうとしている。何としても見つけてやろうという姿勢がなければ、うまく見つけられない強者(つわもの)である。
 ヤブガラシの特徴を頭に置き、庭の物陰や庭木を見て違和感を持つことが頭脳戦の重要なポイントになる。視線を留めじっと見つめるとそこにいる。ヤブガラシはあまりに成長が早いため、自分の方が隠れている木(3メートルぐらいの高さまでに剪定(せんてい)されている)より背が高くなり、頭を出してしまって見つかることがある。ヤブガラシの失策である。
 いつもヤブガラシを駆逐(くちく)したつもりで草取りを終えるのだが、次の日はまた同じ頭脳戦を繰り返すことになる。今朝も一本見つけた。

新潟県 長岡市医師会たより NO.508より

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