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令和5年(2023年)5月5日(金) / 南から北から / 日医ニュース

眠剤としてのバッハ

 最近は医学の進歩が著しく、私が現役の頃は不治の病と言われていた疾患が治癒するものとなったり、あるいは治癒率が著しく向上している。近い将来、悪性腫瘍もほとんどは治癒可能な疾患となる日が来るのではないかと期待しているところである。このような治療学の進歩の中で、ごく普通に見られる疾患の治療に案外手こずっていることもある。「不眠」や「脱毛」などがそれに当たるのではなかろうか。
 私が医師になりたての頃から男性型脱毛症(AGA)は厄介な疾患であった。内分泌治療を含め種々の療法が行われたが、なかなか効果が見られなかった。本気で"Castration"を希望した患者さんがいたという話を聞いたこともあった。さすがに現在は皮膚科でAGAの治療も確立し、効果を上げているようで喜ばしいことである。また「不眠」の治療もなかなか難しいと聞いているが、最近は優れた眠剤、向精神剤の開発が進んでいるようであるので、これもまた効果を期待しているところである。
 いろいろな書物によると17~18世紀頃は一般に「脱毛」は病気として見られていなかったようである。上流階級では"かつら"がおしゃれの道具であったからかも知れない。
 一方「不眠」の方は現在と同様(特に貴族階級の人達が)苦しんでいたらしい。貴族の人達は社交に明け暮れ、夜半に及ぶ宴会、パーティーの連続ともなれば不眠症にもなろう。彼らのぜいたく病の一つだったかも知れない。
 私は眠れない時に眠剤はあまり使用せず、やや難解な書物でも読んでいると眠気を催したものだが、当時の貴族達もいろいろなことを試したらしい。ドイツの貴族ヘルマン・カール・フォン・カイザーリンク伯爵も不眠症で悩んでいたが、彼は睡眠剤ならぬ睡眠音楽を寝室の隣の部屋で演奏させていた。子守歌的な効果を期待したのであろう。
 彼の選んだ音楽はチェンバロの演奏で、才能豊かなゴールドベルク少年(当時14歳)に演奏させていた。このゴールドベルク少年はフリーデマン・バッハやその父であるセバスティアン・バッハにも師事し、すでに相当な腕前をもっていたらしい。またカイザーリンク伯の方もかなりの音楽好きで、セバスティアン・バッハのオルガン曲を好んで聴くような素養のある人物であった。このような耳の肥えた人物の前でチェンバロの名手が弾くのであるから、どうも「子守歌」効果は十分に期待できないという皮肉な結果となった。眠くなるどころかその演奏に聴き入ってしまうこともあったらしい。
 ゴールドベルク少年は困って師匠のフリーデマン・バッハに相談したところ、師匠は"親父にでも頼んでみるか"ということになった。カイザーリンク伯もその案に賛成して、大バッハにそれ相応の謝礼をもって睡眠音楽の作曲を依頼した。この依頼に対して大バッハは"チェンバロのためのアリアと30の変奏曲"を作曲した。これが現在に伝わっているバッハの名曲「ゴールドベルク変奏曲」である。曲名になっている"ゴールドベルク"はカイザーリンク伯のお抱えのチェンバロ奏者の名前なのである。
 その結果はどうだったのであろうか? カイザーリンク伯は見事に眠ったということになっている。この曲は演奏に約50分を要する大曲で、演奏者にとっては眠るどころか大変な緊張を強いられる作品である。私もこの曲をCDで聴いたことがあるが、睡眠効果は絶大であった。大体第10変奏辺りまでくると効果が現れる。従って私はこの曲を全部聴き通したことはまだ一度もない。

(一部省略)

長野県 松本市医師会報 第655号より

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