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令和5年(2023年)8月20日(日) / 南から北から / 日医ニュース

残念、二位に終わった我が野望

 昨年8月のお盆休みを利用して、富士山に登りました。
 最初に登ったのは、昭和31年学生の頃、若さにまかせて走るように登り、下ったのですが、特に感慨もなく、高山植物や雷鳥に出会える北アルプスの方がはるかに楽しいと思いました。以来富士山は遠くから眺める山だと決めてしまっていましたが、ふとした事から15年前再度登りました。
 此の時山頂の浅間大社で70歳以上の方は記帳してくださいと求められ、言われるままに氏名、生年月日、住所等を書いたところ、その場では御神酒一杯と扇子を戴いただけでしたが、驚いたことに年末にその年の記帳者全員を生年月日順に整理した名簿が送られてきました。私の名前もトップから数百番目に載っています。何事もすぐ競争に持ち込むいやな世の中だと多少の反感も覚えましたが、一寸考えてみると何の苦労も努力もせずに歳をとるだけで順位が上がるわけですから、楽しいだろうと気が付き、以来数年おきに登ってみるとどんどん順位が上がります。88歳になった平成30年には、トップから8番目にまでなりました。名簿の第一頁に印刷されています。こうなると一位にまでなりたくなるのが人情と云うもの。その年の一位は、共に92歳(数え年)の男女二人。同年齢ながら生年月日の順でしょう、一位と二位になっていました。
 私も今年同じ92歳になったので、その栄誉を夢見つつ出かけました。年間20数万人の富士登山者、そのトップとなれば絶好の冥途の土産、閻魔(えんま)さんの前にも大きな顔をしていけると思ったのです。
 ところが年末に手許に届いた名簿を見てガッカリ。今年の一位は96歳の女性、Sさん(福島県)。私は92歳で第二位。また来年挑戦するかといったんは名簿を仕舞いましたが、夜中になって、ふとその女性の名前が気になり、前回(平成30年)の冊子を探し出してみたら、4年前同年ながら二位になっていたSさんです。今年は96歳になっておられます。さらに附記されている登頂回数を見ると、前回より2回増えています。コロナ騒ぎで2年間は登山禁止だった筈ですから、登ったのは昨年。つまり、解禁になったらすぐに登ったということは、毎年登っていると云うことでしょう。ならば今後当分の間、一位はこの方のものと決まりです。聞くところによれば、過去総ての年を通しての第一位は105歳の方で、どこかにその記念館があるそうですが、Sさんは此の記録の更新を狙っておられるのではなかろうか?
 何れにしても、この元気な御仁がおられる限り、私の出番はなさそうです。残念ながら潔く引き下がって、S後援会に入った方が良さそうです。
 然し富士は今や私のトレーニング道場にもなっています。一昨年一月、胃がんが見つかり、胃切除を受け、さらに抗がん剤(S―1)を1年間服用。その服用終了の頃(昨年2月)には様々の副作用に悩まされ、体力の低下著しく、金立山(きんりゅうさん)(標高502メートル)に行っても中腹まで登るのがやっとの状態になっていました。トレーニングを始め、それを続けられたのは此の目標があったればこそでした。何でも直ぐ競争に持ち込む現代社会の風潮を嫌がっていた私をむしろ楽しむほうに変えてくださった富士の神様に感謝しています。あとしばらく続けてみたいと思っています。

佐賀県 医会佐賀 第1192号より

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