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令和5年(2023年)11月5日(日) / 南から北から / 日医ニュース

10年日記

 今年の初めから10年日記をつけている。1ページに10年分の同じ日付が縦に並んでいて、記入する際に過去にどんな事があったかを振り返ることができるもので、ご存じの方も多いと思う。A5サイズで、1日の記入スペースは3行だけ。いろいろあった日にはちょっと足りず、特に何も無かった日には余ることもあるが、毎日続けるのにちょうどいい量だ。
 記入例としては、「朝からクリニックの暖房故障。室外機の部品交換が必要とのことで、本日中に直らず。最低気温マイナス12度。業者に借りた石油ファンヒーターでは寒い。明日には直るか?」という感じ(結局翌日には直らなかった)。
 今まで夏休みの絵日記などを除けば日記をつけたことがなかったが、特に節目(開業初年度とか50歳になったとか)でもなく、なぜか日記を始めた。人生の折り返し地点を(恐らく)過ぎて何か記録を残したいという、定年退職後のサラリーマンが「自分史」を自己出版する気持ちと共通点があるのかも知れない(日記は退職金をつぎ込む必要もなく、配ったりもしないので周りに迷惑を掛けないのもいいと思う)。
 古くは藤原道長の「御堂関白記(みどうかんぱくき)」、平信範の「兵範記」など、最近では昭和天皇歴代侍従長の侍従日記など、日記は時代の生の歴史的資料としての価値があるが、私の日記はあくまで個人的な記録だ。当たり前だけど。
 日記をつけ始めてから変わったことがいくつかある。まずは、先ほどの暖房の例のようなトラブルも、「あ、日記のネタができた」とイライラしなくなった。嫌なことがあった時、誰かに話すと気が楽になるのと同じ効果かも知れない。ただ、人間関係や仕事での本当に嫌なことは書かないようにしている。毎年そのぺージを開くたびにその嫌なことを思い出してしまいそうだからだ。他には、今までなら面倒でやらなかったことを、日記に書くためにやるようになった。例えば、しばらくサボっていたプール通いを再開したり、休日にダラダラ過ごすのでなく、どこかに出掛けたり。
 日記と言えば、自分だけの秘密(「〇〇君大好き!」とか)を書いて机の引き出しに鍵を掛けてしまっておく(「お母さん、勝手に読んだのね! ひどいわ!」)、というイメージがあるが、私の場合、見られても大丈夫な内容がほとんどで、事実の記録としての側面が強い。クリニック駐車場に今シーズン何回目の除雪が入っただとか、どんな本を読んだとか、どんな映画を誰と観ただとか(「昔この映画一緒に観たよね」「え? 知らんけど。誰と行ったん?」「え、えーっと......」というリスクも回避できることを期待)。
 今日の日記は、「つどい(帯広市医師会報)原稿書いて送った」で始まる。

北海道 帯広市医師会誌 65号より

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