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令和6年(2024年)1月5日(金) / 南から北から / 日医ニュース

トイレの神様のおはなし

 いつからでしょうか? トイレ掃除が好きです。朝一もすがすがしいし、帰宅後すぐも良いですよね。今はまだ初級レベルなので流せるシートを多用していますが、「いつかは素手で」とも思っています。
 幼少期からトイレが好きだったのだと思います。給食を残すことが許されなかった小学校時代、乳糖不耐症の私は5時限目を決まって和式トイレで過ごしていました。授業中のトイレはいたずらっ子が上からのぞいたりする心配もないので、開放的で優雅な時間でした。ドリフの大爆笑のコントで、ポットン便器からお化けの手が出てきたのがトラウマになり、夜の外のトイレが怖かった時期もありましたが、飼い犬をトイレまで連れていくことが親から許可され、すぐにまた憩いの場になりました。
 換気扇や給水タンク、便座の外周、床の流れでシート1枚。ふた、便座裏表、便座下でシート1枚、そして最後に水たまり、という流れが私のルーチンです。1セッションが常に5~10分と時間が読めるし、他の事をいったん全て忘れてピカピカを目指して全集中できることがトイレ掃除の魅力です。
 このルーチンを日々繰り返すようになってから、大変光栄な仕事の機会を頂き、家族の会話が弾み、披露宴の余興が大成功し、良い事が続いています。本田宗一郎さんや松下幸之助さんがトイレ掃除を大切にしていたというのは有名な話。トイレを磨けば磨くほど、人間関係や仕事の縁に恵まれたり、お金が舞い込むという話も、「金運」「運呼」的な単なるダジャレなどではなく、脈々と先人から言い伝えられている神様の功徳のような気がしています。
 植村花菜さんの「トイレの神様」では、奇麗な女神様がべっぴんさんにしてくれると歌っています。「弁財天」が見守ってくれるなんてありがたい話です。曹洞宗の開祖である道元禅師(どうげんぜんじ)は、あらゆる不浄や穢(けが)れを焼き払う炎の神様「烏枢沙摩(うすさま)明王」をお祀(まつ)りし、トイレ掃除も重要な修行と位置付けたそうです。私のお家にどちらの神様がいらっしゃるのかは分かりません。トイレ掃除は心の掃除。神様からのご利益、妻からのお小遣いを期待してトイレ掃除をするのではなく、毎日何度もお世話になっているトイレに対する感謝を込めて掃除します。水、健康、家族......感謝で満たされながら掃除に没頭すると、自然とすがすがしい気分になるのです。
 最後に、秋田大学生時代に一度だけ「トイレの神様」の存在を確信した時のお話を紹介します。手形山崎で試験の打ち上げをやっていた時だったと思います。相変わらずお腹がゆるキャラの私は、ゲ〇Pとなりギリギリセーフで個室に駆け込みました。冷静になってから重大な事に気が付きました。「トイレットペーパーが無い......」。しかしそこには神がいました。正面の壁の貼り紙にはこう書かれていたのです。
 かみにみはなされたなら まよわず天をみあげよ
 (頭上の収納棚にトイレットペーパーが積み上げられていました)
 いつからでしょうか? トイレ掃除が好きです。「いつかは素手で」とも思っています。
 なお、筆者に「ドメスト」や「トイレマジックリン」に関する利益相反(COI)はありません。

秋田県 大北医報 NO.293より

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