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令和7年(2025年)5月20日(火) / 南から北から / 日医ニュース

ね・ね・粘土

 開業して間もない秋に、息子が通う幼稚園から、親子の工作教室という案内が届きました。「粘土で恐竜を作ろう」というタイトルを見た途端、すっかり忘れられていた忌まわしい記憶が私の頭によみがえってきました。
 私達が小学生の頃、粘土と言えば油粘土でした。深い緑色をした塊でとても重く、学校へ持っていくのが大変でした。固まることはないので、何度でも作り直すことができたのですが、軽い力で容易に形が変わるため、時間を掛けて作ったお気に入りの作品が保存しにくいことが難点でした。
 私は、粘土の授業はあまり好きではありませんでした。粘土には「ひまし油」が入っていて、作業の後に手に油が付くのが嫌だったのです。どれだけ手洗いをしても、給食の時に手には匂いが残ってしまうのも不快でした。またカバンの中に放置しておくと、いつの間にか油が勝手ににじみ出てきて、周りのノートや教科書が汚れることもあり、できれば持ち運びをしたくはありませんでした。
 小学4年生の時、粘土細工の課題は動物でした。あれこれと悩み、皆とアイデアが重ならないよう鶏に決めました。図鑑の写真を参考にしながら、オスの鶏が前を向いて座っている姿を作っていきました。他の子が取り組んでいるゾウやライオンなどに比べると地味な動物でしたが、それなりの存在感を出すことはできているのではないかと思っていました。
 作業が進んだところで、先生がアドバイスのために教室内を回りました。私には「もう少し躍動感を出してみよう」と言われました。これが悲劇の始まりでした。まず、羽を伸ばそうと試みました。大きく広げると粘土の重みで羽が下りてしまうので、ほんの少しです。しかしこれでは、あまり大差がありません。そこで鶏を立たせてみようと考え、足を作りました。体を支えるため少し太めの足にしたのですが、やはり二本足で立った鶏は不安定でした。
 どうしようか悩んでいた時、突然隣の子が作っていた背の高いキリンのバランスが崩れて、倒れそうになりました。自分の作品を慌てて支えようとした子のひじが、私の鶏の顔面を勢いよく直撃したのです。くちばしが曲がって、顔が天井を向く格好になり、私の鶏は痛烈なパンチを受けたボクサーのようにゆっくりと傾いていきました。足は体を支えきれずに折れてしまい、土台と共に机から床に落下していったのです。スローモーションの映像を見ているようでした。
 授業の残り時間が15分になり、先生から作業終了の合図がありました。ここからは、皆の作品を鑑賞して感想を述べ合うのです。無傷だったキリンは、とても好評でした。その横に並んだ私の鶏は、顔が変形し鶏冠(とさか)が折れ、体には床のゴミがたくさん付いていました。立っている姿も表現できなかったので、体は変な方向を向いてしゃがみ込み、生命感があふれる作品とは掛け離れたものになりました。隣の子は何度も謝っていましたが、偶発的な出来事で粘土の特性でもありますから、仕方がありません。先生も事情を知っていたので、また頑張ろうと慰めてくれました。しかし私は、次に作る機会があるなら絶対に四つ足動物にしようと思い定めました。
 その後は粘土とは縁が切れていたのですが、幼稚園行事であり家族の共同作業ですから、参加しなくてはいけません。覚悟を決め幼稚園へ行くと、何と用意されていたのは紙粘土でした。軽くて使いやすく、自然乾燥により硬くなるので、固まったら安心して別の作業ができます。また今回は、あらかじめ針金やひもで芯を作ってから粘土を盛り付けていくので、二本足でも倒れる心配はありません。しかしそれでも私は、過去の苦い経験を踏まえて、息子には四つ足恐竜トリケラトプスを作るように勧めました。半日かけて完成した恐竜は、20年経った今でも形を保ち、納戸の奥に保存されています。
 一緒に恐竜を作った息子は、春に臨床研修を終え専攻医になります。粘土作品を見つめながら時の移ろいを感じ、これから経験するさまざまな医療業務の中で、四つ足恐竜のように力強く邁進(まいしん)して欲しいと願うところです。

(一部省略)

愛知県 名古屋医報 第1520号より

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