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令和7年(2025年)11月20日(木) / 日医ニュース

ハムスターが死んだ

 動物を飼うことに、私はずっと反対していた。理由は単純で、別れがつらいからだ。命の終わりを見送る痛みを知っているからこそ、最初から関わらない方がいいと思っていた。だから、子ども達が「ハムスターを飼いたい」と言い出した時も、即座に首を横に振った。
 それでも子ども達は諦めなかった。「別れは悲しいけれど、生きている間にもらうものの方が多いよ」と言った。その言葉に少し心が揺れた。悲しみを避けるために何かを遠ざけるのは、本当に正しいのだろうか。そう思い、飼うことを許した。
 迎えたハムスターは、手のひらに乗るほどの小さなものであった。「ハムチ」と命名され、回し車を夢中で走り、頬いっぱいに餌を詰める姿に、家族の誰もが笑顔になった。短い命だと分かっていながらも、毎日の世話がいつしか生活の一部になっていった。
 3年が過ぎたある真夜中、ハムスターは静かに息を引き取っていた。第一発見者は私であった。小さな体を手のひらに包み、胸の奥が締め付けられるように痛んだ。翌朝、子ども達はショックを受けながらも、「いっぱい楽しく過ごせたね、ありがとう」と声を掛けていた。その姿を見て、私は子ども達の言葉の意味をようやく理解した。
 別れは悲しい。けれど、その悲しみを恐れていたら、こんなにも温かな時間を手に入れることはできなかった。短い命が、今を大切に生きることの尊さを教えてくれた。

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