私の休憩室は小高い丘に建つ共同住宅の7階、北東の角にあります。空いた時間があると、その部屋の東向きの窓際に椅子を置き、腰掛けます。本を数冊、老眼鏡、双眼鏡、カメラ、そしてビールを脇に置けば準備完了。本を読んだり、ボーっと景色を眺めたりして過ごす、幸せなひと時の始まりです。
窓の外、眼下には西大津の家々の屋根が広がり、その間を京阪電車やJR湖西線の列車が行き交う様子がうかがえます。まるでジオラマのようです。少し視線を上げれば雄大な琵琶湖が水をたたえ、遊覧船やヨットが浮かんでいます。対岸には三上山を始め湖東の山々の姿があり、その奥には鈴鹿山脈が連なり、晴れた日には遠く伊吹山も望めます。いつもの風景ですが、いつも違って見えます。時に双眼鏡をのぞき、気に入れば写真に残して楽しんでいます。
40歳になる頃、自分は何も知らないと思うようになり、分野にこだわらず興味の赴くままに本を手に取るようになりました。受験生、医学生、医師として過ごしているうちに、実務とは関係が薄い知見をおろそかにしていたように感じたからです。さまざまな人が各々の分野で探求したことが文章となり、時間と空間を超えて語り掛けます。人間の探求心には限りがないと感じます。
合間にふと外に目をやると、私の思惑などお構いなしに鳥が飛び交い、歌っています。空にはさまざまな形の雲が浮かび、月や星や太陽が光っています。わが身の存在の小ささを感じます。
思い返せば子どもの頃は、無邪気な好奇心から本に親しんでいました。幸い身近に図鑑や百科事典がありましたし、学研の『科学と学習』が届くのも毎回楽しみでした。ルパンやホームズなどの推理小説もその展開をワクワクしながら読んでいました。また同時に、暇があるといつまでも窓の外の様子を眺めるのが癖でした。通りの人や車、雨の日の水たまりの波紋や川の流れ、雲や星など飽きずに観察していた記憶があります。
年を経るにつれ純粋な知識欲が薄れていました。還暦を超え、少しは成長したと思いたいのですが、変わらない変えられない面も多々あるようで、空いた時間は結局子どもの頃と同じように過ごしてしまいます。まだまだ知らないことばかりなのに、脳の劣化はとうに始まっていて、いつまで新しいことが記憶に残るか分かりませんが、もう少しこの眺めの良い部屋で幸せに過ごせたらと思っています。



