医師のみなさまへ

医の倫理の基礎知識 2018年版
【人を対象とする研究】H-2.倫理審査委員会の役割とその運営

吉田 雅幸(東京医科歯科大学先進倫理医科学教授)


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 近年、医療の分野における先端生命科学技術の応用が着実に進んでいる。このような先端生命科学技術の革新的進歩は生命科学そのものの考え方やわれわれの倫理観にも影響を与えている。しかしながら、加速化する生命科学の進歩がそれを取り巻く社会に及ぼす倫理的問題についてどのように対応すればよいのかという取り組みはまだ十分とはいえない。しかし、科学技術の臨床応用の段階では社会に対してその利点と欠点の双方を十分に理解してもらう必要がある。わが国で倫理審査委員会あるいはIRB(Institutional Review Board;施設内研究倫理審査委員会)がここ数年で整備が進んできた背景にはこのような社会に対する説明責任が考えられる。実際の倫理審査委員会あるいはIRBでは、臨床研究や医薬品や医療機器の承認申請のための治験の科学的・倫理的妥当性を審査するが、本稿ではこの倫理審査委員会あるいはIRBの役割と運営について述べる。

1.臨床研究と治験

 まず臨床研究と治験の違いについて理解しておく必要がある。臨床研究とは医薬品や治療法の新しい機序・効果・使用方法の探索のために実施される臨床試験であり、医薬品医療機器等法のような法的規制ではなく「臨床研究に関する倫理指針」というガイドラインによって規制されてきた。一方、治験とは医薬品の承認申請をする目的で実施される臨床試験であり、医薬品医療機器医等法に基づいて実施されることが求められる。したがって、同じ臨床試験であっても臨床研究と治験では遵守すべき規範や進め方が異なる。

 治験以外の臨床研究は倫理審査委員会が審査を行い、治験についてはIRBが審査を行う施設が多いが両委員会を兼務する施設もある。このような臨床研究・試験の遂行に当たっては、①臨床研究・試験の必要性と妥当性の吟味 ②被験者の保護のような倫理的な問題をクリアする必要がある。前述したように倫理審査委員会あるいはIRBはすでに多くの医療機関や研究機関に設置されているが、それら委員会での議論の内容についてはまだ改善の余地が多い。

 医学研究の倫理性を問うときには同時に科学的妥当性も検証されなくてはならないが、この原則がしばしば忘れられる。良質な研究とはこの倫理的妥当性と科学的妥当性の両者がともに優れている研究ということもできる。1964年の世界医師会総会で採択されたヘルシンキ宣言は臨床研究の被験者の人権擁護を強調してきたものだが、以降、定期的に改正されており、2018年のブラジル世界医師会総会で改正された。

 これをみても分かるように、生命倫理規範というものは医学の進歩および社会情勢に応じて変化していくものである。また、一般臨床と医学研究との境界を決めることは実は簡単ではない。実際に大学病院などの研究機関で臨床に従事している立場からすると、臨床的思考と研究的思考を一人の患者の診察中に切り替えるのは非常に難しいことである。

 しかし、その行為が純粋に患者の臨床だけのためのものかどうかと自問することで、臨床的思慮なのか研究的思考なのかを分けることはできると考える。臨床研究に関する倫理指針を読んでもこの両者の定義は明瞭ではなく、その中間にグレーゾーンがあるように思われる。

2.倫理審査委員会・IRBの運用

 それでは効率的な倫理審査委員会・IRBの運用を目指すためにはどのようにすればよいのであろうか? 残念ながらわが国の医学・科学教育のなかで医療倫理・研究倫理についての教育が始まったのはつい最近である。したがって、医療倫理・研究倫理の専門家・指導者は不足している。医療者のなかから次世代の指導者を育て、医学教育の根幹に据えることで将来の医療者の倫理素養が培われるのであろう。

 さらに、より現実的な問題が現在各倫理審査委員会・IRBで審議を務める委員に対する教育である。日々多忙な臨床現場に従事する医師に対して倫理審査委員としての方法論を指導することは医療機関としても非常に重要な課題である。われわれの所属する東京医科歯科大学医学部は全国80医系大学が加盟する医学系大学倫理委員会連絡会議(LAMSEC)の事務局として各倫理委員会が直面する問題を共有する機会を設けてきたが、この会議でも倫理審査委員会委員に対する教育ワークショップを試験的に開催したところ大変大きな反響があり、潜在的ニーズの大きさを実感している。

 また、実際の委員会審議に不可欠である臨床研究に関する倫理指針についても、2017年に医学系指針、ゲノム指針の双方が改正され、また2018年4月からは新たな臨床研究法という法律が施行され、臨床研究をめぐる環境は大きく変容している。従来のような施設ごとの委員会に限定されず、他施設の委員会に審査を委託することが可能となり、それぞれの施設の現状に即した現実的な手続きや制度をつくることが肝要である。そのためには、医師・医療者の事務部門に対する理解と、事務側でもこれらの業務の専門職化などの意識改革が必要である。

おわりに

 倫理審査委員会とIRBについてその役割・運営の現状と課題をまとめた。実際に倫理審査委員会の運営に参加すると、ここで述べた事案以外にも多種多様な問題点が浮かび上がってくる。日々の課題を克服しつつ、わが国の研究・臨床が社会から受け入れられる倫理的なもので有り続けるための取り組みが求められている。

(平成30年8月31日掲載)

目次

【医師の基本的責務】

【医師と患者】

【終末期医療】

【生殖医療】

【遺伝子をめぐる課題】

【医師とその他の医療関係者】

【医師と社会】

【人を対象とする研究】

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