医師のみなさまへ

2022年2月10日

第5回 生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー 受賞作品
一般の部【厚生労働大臣賞】

「今を生きる~息子を看取って~」

山本 悦子(39歳)三重県

 突然のことでした。3歳の息子に脳腫瘍しゅようが見つかりました。横紋筋肉腫おうもんきんにくしゅという小児がんでした。症状が表れるのが遅く、病院で診断されたときにはゴルフボール大の腫瘍が脳を圧迫し、原発巣を特定できないくらいあちこちに転移していました。緊急手術、その後の抗がん剤と放射線の並行治療、休む間もなく厳しい治療が続きました。そしてやっと一息つき、次の治療に進む前でした。

「きょうちゃん......がんばったのですが......もう治療は......」

 主治医からの治療停止を告げる途切れ途切れの言葉、画像に写し出される現実に歯を食いしばっても涙があふれ出しました。「あとどれくらい......」と、余命を尋ねることはできませんでした。息子の力の限りと分かっていたからです。主治医と夫が今後の話をする中、私は考えていました。息子のこと、家で待つ6歳になったばかりの兄のこと、コロナ禍のこと、自由の利かない付き添い生活のこと、少しだけ主人のこと......。

「おうちにかえる!」

 息子が病院で繰り返し叫び続けた言葉が頭をよぎりました。そして決めました。「今日、家に帰る!」迷いはありませんでした。何の準備もしていませんが、息子を看取る覚悟だけが私の背中を押しました。

 私たちは、半ば強引に退院を決めました。しかし、そんな状況にも関わらず、

「よく決断なさいましたね。」と、新しく担当になったトータルケアチームの医師と看護師が優しく声をかけてくださいました。その声は私たちのありとあらゆる決断を肯定してくれているかのようでした。すぐに病院が一丸となって動いてくださり、在宅療養の準備が始まりました。

 そんな急展開に......。

「なんでおうちにかえれるの。」

 次の治療が始まると分かっていた息子は不思議そうに私に尋ねました。

「おうちにかえってゆっくりしようね。」

 私は精一杯、答えました。また家では兄が待っています。弟が元気で帰ってくるとの言葉を信じ、夫と2人、離ればなれの生活に我慢を重ねていました。私たちはトータルケアチームの看護師に、兄への弟のことの伝え方を相談しました。すると「今、あえて悲しいことを伝える必要はないのでは......」とのアドバイスをいただきました。その言葉を心に留め、私たちの在宅療養が始まりました。

 在宅療養当初は息子の体調もよく、身体を起こして大好きなアイスを食べることができました。絵本の読み聞かせを楽しみ、兄とDVDを見て表情も穏やかでした。「この日が永遠に続きますように......」と、願わずにはいられませんでした。しかし日が経つにつれ、息子の痛みが強くなってきました。

「いたい。いたい。」

「あたまがはじけそう。」

 息子の言葉に手が震えました。痛み止めのボタンを握り締めるように押しました。心が折れそうでした。

 そんなとき兄が大活躍してくれました。弟の顔をのぞき込み、小さい声も聞き逃しません。

「いたい......」

「きょうちゃんがいたがってる!」

「アイスたべる? オレもたべる!」

「にいちゃんはたべたらダメ。」

 その光景は、兄弟のじゃれあいが形を変え続いているようでした。兄は弟の現状を自然と受け入れ順応しているようでした。そして、息子たちを見て思ったのです。私たちの思う「悲しい」を理解させるのではない、大切なのは「今を生きる」ということだと。それからは不思議と家族に笑顔が戻り、あたたかい時間を過ごすことができました。

 退院から10日後、朝方のことでした。器械の音が部屋中に鳴り響きました。呼吸と心拍の数値が低いことを知らせていました。主人と病気で痩せた息子の身体をさすり続けました。手を握り続けました。何度も同じ言葉を伝えました。

「きょうちゃん。ずっと一緒だよ。」

「きょうちゃん。大丈夫。大丈夫。ゆっくり、ゆっくり......」

 そして小さな呼吸が静かに止まりました......。息子のおでこをなで続けました......。

 闘病期間、3ヶ月という短い間でした。息子は病気の発覚が遅れるほど限界まで全力で今を生き、そして力強く生き抜きました。兄が弟のひつぎに入れた手紙にこう書いてありました。「きょうちゃんだいじょうぶ? さみしいけどバイバイ」と......。息子たちに教えられることばかりです。きょうちゃんの生き方、兄の優しさ......。私たちは前を向くことができました。

「今を生きる」私たちは幸せです。

第5回 受賞作品

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生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー