医師のみなさまへ

2022年2月10日

第5回 生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー 受賞作品
中高生の部【文部科学大臣賞】

「私を救った「魔法」」

黒田 怜那(16歳)東京都

「検査の結果、新型コロナウイルスに感染していることがわかりました」。この知らせを聞いた時、うまく返事をすることができなかったあの日のことを、今でも鮮明に覚えている。

 母の感染がわかった2日後、私はPCR検査を受け、陽性判定が出た。いわゆる家庭内感染だ。外出は極力控えていたし、テレビで見るようなわかりやすい自覚症状もなかった。そのせいだろうか。自分が感染してしまったという事実を全くといっていいほど理解できず正直すぐに受け入れることができなかった。だが、これ以上ほかの家族に感染を広げるわけにはいかない。心の中はぐちゃぐちゃのまま家の中での隔離生活が始まった。

 普段は使っていない物置だった部屋を少し片付け、寝るスペースを確保してその部屋で2日間過ごした。当たり前だがお手洗いやお風呂以外、部屋から一歩も出ることがなければ家族と話すこともない。私が一番落ち着ける「自分の家」であるはずなのに、「自分の家」でないみたいだ。少しずつ実感が湧いてくると同時に、心が厚く真っ黒い雲に覆われていく感覚に陥った。恐怖や不安に押しつぶされそうになったのだ。新型コロナウイルスはまだわかっていないことの多い未知の感染症だ。いつ症状が出るのかわからず、自分の体が時限爆弾を抱えてしまったような気分だった。

 また大きな不安要素となったのは、部活動についてだった。私は部活動で副部長を務めていて、部員の健康管理を任されていた。常に先頭に立って、消毒や換気を促す立場だったのだ。そんな立場の私が感染しただなんて、部員に合わせる顔がない。そして私の学校では、生徒の陽性者が出た話をまだ聞いたことがなかった。もし自分が初めての感染者だったら、自分の部だけでなく、学校全体の部活動が止まることになってしまうのではないか。学校生活全体に影響が出るのではないか。多くの人々に迷惑をかけ、巻き込んでしまうかもしれない。改めて事の重大さを実感した。保健所からの連絡を待つ間、このことで頭がいっぱいだった。

 ちょうどその時、保健所から電話がかかってきた。陽性だとわかった時は親に連絡が入ったため、私はそこで初めて保健師さんとお話しをすることになった。幸い春休み中で、最後に部活があった日から日数がたっていたこともあり、学校に濃厚接触者はおらず、学校の活動に影響が出ることはないという話だった。保健師さんは、不安で胸が締めつけられそうだった私の気持ちを理解してくださったのか、これからホテルで療養生活になることや、学校について心配することはない、ということなどを丁寧に説明してくださった。症状は出ていなかったものの、精神面で相当弱っていた私を、包み込むような優しい「声」が何より本当にうれしかった。

 それから数日後、ホテルでの療養生活が始まった。体調に大きな変化はなかったが、ここでもとにかく精神的に大きなダメージを受けることが多かった。テレビをつけると連日コロナに関するニュースが報道されている。増え続ける感染者の数。ひっ迫する医療現場。何を見聞きしても自分が今、コロナウイルス感染者の一人としてたくさんの人に迷惑をかけ、たくさんの人の力を借りて療養しているのだという事実に結びつき、申し訳なく思えて仕方がなかった。

 ホテルに入って1週間がたったころ、学校の新学期が始まった。だが、クラス替えした新しいクラスも知らなければ、担任の先生や一緒になった友達もわからない。部活動にも出られない。自分だけ取り残されているようだった。落ち込んでばかりだった私を励ましてくれたのは、毎日2回、内線電話で体調チェックをしてくださる看護師さんの「声」だ。体調だけでなく気分や気持ちの変化にも親身に寄り添ってくださった。看護師さんの声を聞くと、不思議と気持ちを落ち着かせたり、嫌な気分を切り替えたりすることができたのだ。看護師さんの「声」のおかげで、ホテルでの療養生活は長引くことなく無事退所の日を迎えた。

 感染後の療養生活を振り返ってみると、どうしてもマイナス思考になり、気持ちが落ちていって精神面の方が辛かった。そんな時、保健師さんや看護師さんの「声」に何度も救われた。私にとって彼女たちの「声」はたくさんの勇気を与えてくれる「魔法」のようだった。魔法に助けられ、長い療養生活を乗り越えることができたのだと思う。いつか私も患者さんを救えるような魔法を持つ、すてきな看護師さん、保健師さんになりたいという将来の夢が膨らんだ期間でもあった。

 お忙しい中で、顔もわからない私のことを親身になって支えてくださった方々に心からお礼を述べたい。

第5回 受賞作品

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生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー