医師のみなさまへ

2022年2月10日

第5回 生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー 受賞作品
一般の部【入選】

「くじびきの神様」

中道 瑞葉(34歳)埼玉県

 夜店のくじびきが好きだった。動物のガラス細工が、かならずどれか一つはもらえる。1等は鳳凰ほうおうや鶴亀の縁起物で、末等は小さな犬や猫だ。赤いちょうちんや山吹色の電飾に照らされて、夏祭りの夜にガラスはきらめく。

「すごいのは、当たらないよ。」

 小銭をくれた母は忠告した。でも、私が狙っていたのは1等ではなく、末等の一つ上の親子細工だ。幼稚な思いつきで、でたらめに神様をつくってお願いした。都合がいいときだけの、「くじびきの神様」だ。

「当たった!」

 小箱の中身は豚の親子だった。プルーンくらいの丸っこい母豚と、大豆サイズの子豚が4匹。かわいい親子がうれしくて、母豚に子豚を並べて授乳させたりした。ままごと遊びをしながら、お母さんから子どもが生まれてくるのは当たり前だと信じていた。

 20余年後。結婚した私は、医師から体外受精が必要だと宣告された。

「お母さんから子どもが生まれてくる」のは、間違いではない。けれど、女性はあらかじめ母親なのではない。子どもができてはじめて親の立場になる。実子にせよ養子にせよ、子どもに巡り合えなければ自分達は親にはなれないのだと、そのときはじめて気がついた。

 体外受精は過酷だった。本来なら毎月1~2個しか成熟しない卵胞を、ホルモン剤で過剰生産させて、針を刺して採卵するのだ。卵巣が腫れて腹水がまり、歩くたびに胃腸がぷかぷか揺れた。駅のホームで立てなくなり、担架で運ばれて出勤を断念したこともある。

 採卵手術の結果、卵子は22個も取れた。きっと卵巣はマスカットのようだったろう。凍結保存まで進んだ胚盤胞はいばんほうは8個。同日に受精しているから、二卵性双生児ならぬ、八卵性の八つ子だ。実際には1個ずつ子宮に戻すから、きょうだいとして生を受けることになる。うまく誕生できれば、の話だけれど。

 1回目の胚盤胞移植で、妊娠判定が出た。でも、何度エコー検査をしても、胎児の心拍は確認されなかった。稽留けいりゅう流産と診断され、抗リン脂質抗体による不育症がわかった。次の妊娠では毎日注射を打ちながら妊娠の維持を試みることになった。

 こんなにもあらゆるステップで引っかかり、本当に子どもが望めるのか不安になった。必死に努力を重ねても、ことごとく希望が打ち砕かれる。あまりの理不尽さが辛く、私はクリニックの看護師に泣きつき、答えを求めた。

「不妊の原因は、どれだけ調べても不明なことも多いの。これまであなたは努力して、勉強も仕事も成功させてきたかもしれないけど、妊娠だけは努力が通用しない。医療はご夫婦を手助けするけど、高度生殖医療を受けさえすれば子どもができる訳ではないのよ。それでも、やってみなければ、わからないの。」

 ――まるで、当たりの存在が不確実な宝くじだ、と思った。

 毎月1回、卵子くじを引く。当選すれば赤ちゃんを授かる。低確率でも当たりが確実に入っていると望みを持てるのなら、まだいい。あるいは、自分には1個の当たりもなく、実子は全く無理とわかれば気持ちの整理もつく。けれど、赤ちゃんになれる卵子があるかないかは、やりつくすまで誰にもわからないのだ。夜店のくじは、なんて良心的なことだろう。

 保存中の胚盤胞は、人間としては生まれていなくても、私にとってはわが子だった。凍った子ども達が尽きるまでは治療を続けて、それでもだめなら実子は諦めようと決めた。

 果たして、2回目の移植では順調な経過をたどり、元気いっぱいの娘が生まれた。4年越しでのうれし涙があふれ出た。

 もうすぐ2歳になる娘は、凍結された過去なんてみじんも感じさせないくらい、ぬくもりと生命力にあふれている。かえるのうたを歌いながら畳で飛び跳ねたり、全力で泣いたり笑ったりするさまは、ほかの子ども達となにも変わらない。

 不妊治療は神の領域を侵している、という意見がある。生命の誕生の神秘を、人間の科学力でじ曲げるのは不自然だと感じる人もいるようだ。けれど、医療の力は万能ではない。持病があっても妊娠に挑戦するチャンスは、医療技術が作ってくれるかもしれない。それでも、すべての不可能を可能にするほどの力は、残念ながら多分、ない。最終的にはきっと、くじびきの神様が決める。

 もしも将来、娘がくじびきをやりたがったら、私はなんて声をかけるだろう?

 当たりは出ないかもしれないと忠告する?  

 当たりが出るまで、全財産をかけてみようとはげます?

 正解はわからないから、こう伝えるのがやっとだろう。

「ママと一緒に、くじびきの神様にお願いしてみる?」

第5回 受賞作品

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