医師のみなさまへ

2023年2月20日

第6回 生命(いのち)を見つめるフォト&エッセー 受賞作品
一般の部【審査員特別賞】

「私を救った言葉」

前田 俊武(75歳)北海道

 5年前の秋、胃がんと診断され、消化器系の病院で胃の全摘手術を受けることになった。手術の3日前、外科病棟に移動すると、大きな体格にいかつい顔の24~25歳の男性の看護師がやってきて、「担当になりましたWです。」と挨拶した。
「若い女性の看護師が来ると思っていたのに。」と皮肉めいた口調で言うと「看護師になり3年ほど経ちますが今までほとんどが男性か、おばあちゃんが担当でした。私も本当は若い女性の患者の方がいいです。」と明るくユーモラスに返事をした。

 手術の翌日、HCUから病室に移動したが、何も口にできず、手術前からの便秘で腹が張ってとても辛かった。担当医に話すと、それを伝え聞いたWさんがやってきて、「お尻を出して横になってください。」と言った。もしやと思ったら、肛門の中に指を挿入し、便の塊を取り出してくれた。看護師とはこんなことを平気でできるのかと驚いたのと同時に、多少辛さが和らいだ。
「明日までに排便がなければ浣腸かんちょうします。」と言われたが、翌朝になっても排便はなく、結局浣腸となった。トイレで待つが変化はなく、ベッドに戻った途端、突然便意を催した。急いでかけこもうとしたが間に合わず、下着もトイレも汚してしまった。こんな失態は子どもの時も犯したことがない。Wさんは、
「あなたが悪いんじゃない。病気がさせるのですよ。」と、私の尊厳を守るように、寄り添った言葉を掛けてくれ、全てをきれいに取り換え、掃除をしてくれた。

 この時ほど看護師のありがたさとこの仕事の大変さを痛感させられたことはない。

 彼は食堂や談話室でも、病から沈みがちな患者に対し、担当外の患者であっても誰にでも優しく話しかけ、明るい冗談を交わしていた。看護師長の話によると、彼がこの病棟に来てから詰め所が明るくなり、他の看護師も患者とのコミュニケーションが良くなり、笑い声がいつも飛び交うようになったと喜んでいた。

 女性が多い職場で働くことについてWさんに理由を聞くと、こう話していた。
「僕の母も祖母も看護師でした。僕は3歳の時に父をすい臓がんで亡くし、幼少時は祖母に育てられました。2人の姿を見て、人の役に立つ仕事がしたくて、看護師になることを決意したんです。」

 私は術後1週間目から、他臓器への転移防止のため、抗がん剤(TS1)を2ヶ月服用、1ヶ月休止のサイクルで1年間続けることになった。この薬はがんをやっつけるいい薬だが、副作用も大きく、私の健康な部分もむしばまれた。

 服用を始めて5日目。無気力、嘔吐おうと、下痢に苦しめられた。特に下痢は大変だった。たかが4~5メートル先のトイレまでが間に合わないのだ。再び下着とトイレを汚すことになったが、Wさんはその度に嫌な顔をすることなく、「大丈夫、抗がん剤が悪いのですよ。」と言って、掃除をしながら気落ちする私を励ましてくれた。

 その後、無事退院となり、Wさんや先生方に心からの感謝を伝え、1ヶ月ぶりに我が家に戻ることができた。しかし、ここでも副作用の症状は相変わらずだった。便意でトイレへと起き上がるが、数メートル先でも間に合わず、結局自宅でも紙オムツを着ける羽目になった。

 その後、ようやく体が薬に慣れ、3~4ヶ月が過ぎ、春になると体調も徐々に回復した。ある日の朝、バスで街に向かったところ、途中で調子が悪くなり、バスを降りて近くのコンビニのトイレで嘔吐し家に引き返した。やはりまだ外出は無理だった。

 退院後1年が経過し、苦しかった抗がん剤の服用も終了した。諸検査の結果も良好で、他臓器への転移もなく、体調も回復した。さらにそれから3年が過ぎた夏、久しぶりにゴルフにも行った。自分の足で緑の芝生の上を歩く気持ち良さは何とも言えない感動であった。今もゴルフをできる喜びをみしめている。

 今年に入り、定期健診の際に担当医にWさんのことを尋ねると、昨年、同業の看護師と結婚し、毎日元気に活躍しているとのことだった。もし子どもが出来たならば、笑顔あふれる表情でオムツを取り換え、お風呂に入れて、我が子を大事に育てることだろう。その姿を想像すると、自然と笑みがこぼれる。

 今後はますます男性の看護師が増えていくだろう。彼のような優しい看護師に多くの患者が救われることを期待したい。

 最初に胃がんと知った時には「なぜ自分が......」と愚痴ったり嘆いたりもしたが、今思い返すと、これは神様が私に与えた試練だったと思う。そして今の私の元気な姿があるのは、神様がくれたご褒美だと感謝している。

第6回 受賞作品

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