医師への軌跡

医師の大先輩である先生に、医学生がインタビューします。

自分のやりたいことを軸に人生100年時代の医師のキャリアを築く
塚田(哲翁) 弥生
日本医科大学武蔵小杉病院 副院長・病院教授/救急・総合診療センター センター長・部長

好きなことを軸に

安久津(以下、安):塚田先生のこれまでのキャリアについてお聞かせください。

塚田(以下、塚):私が研修医の頃は臨床研修のシステムが整っておらず、マッチングもない時代でした。日本医科大学の付属病院のうち、当時興味があったプライマリ・ケアに一番近い多摩永山病院で研修を始めたのですが、もっと大きな病院で専門的な勉強をしたいと思い、本院の第一内科に入局しました。

第一内科では循環器の技術の習得に励みました。当時はまだカテーテル治療が始まったばかりで、それに伴って色々な検査や治療法が発展し、学ぶことにやりがいと楽しさを感じました。もともと循環器は好きでしたが、研鑽を重ねるほどに奥深さを知ってさらに没頭しました。

:好きなことを追い求めていかれたのですね。

塚:好きな仕事であれば、どんな辛いことも乗り切れます。私は男女雇用機会均等法が施行された翌年に大学を卒業したため、当時の職場ではまだ女性医師の働く環境が整っていませんでした。社会も働く女性に冷たく、また女性側にも子どもを預けて働くことに罪悪感があり、結婚・出産後に復職しても挫折する人が少なくありませんでした。私も復職後なかなか思うように仕事ができず、落ち込む時期もありましたが、それでも続けられたのは、好きなことを仕事にしていたからです。後輩にも、好きなことを軸に進路を決めることの大切さを伝えています。

安:先生はアメリカに留学された経験があると伺っています。

塚:夫と共に留学し、子育てをしながらの研究でした。下の子は当時2歳で、留学先の保育園に預けることができたのですが、小学生だった上の子の預け先には苦労しました。アメリカでは日本の学童保育のような環境がなく、送り迎えも必要でした。ワーキングマザーの先進国と思えたアメリカでも育児でキャリアを中断した女性が多いと知り、厳しい現実を実感しました。

私のボスは3人の子を育てる女性研究者で、彼女には留学中、そして帰国後もメンターとして多くの刺激を受けました。他にも多様な研究者と出会えたことは、留学の一つの成果です。

人生100年時代のキャリア

安:女性医師は出産・育児などでキャリアにブランクができてしまう場合があります。先生はご自身の経験から、この問題をどのように考えますか?

塚:今の医療も医学も進歩が早く、一旦中断すると追いつくのに大変苦労します。どんな低空飛行でも飛び続けることが大事だと思います。できるときにできることを精一杯続けていくと、周囲からの信頼にもつながります。

今は「人生100年時代」と言われています。これは人間の寿命が延び、現役で働く期間が長くなったことで、昔のように常にトップギアで働くばかりが人生ではなく、時にはギアを落としながら無理をせずキャリアを築いていくべきではないかという考えです。思うように働けないときは別の勉強をしたり、育児に多くの時間を割いたりと、優先順位を変えながら、自分のやりたいことを「継続」するのが何より大事です。

安:私は現在6年生で、将来のキャリアについて考える時期に差し掛かっています。先生からアドバイスを頂きたいです。

塚:今の日本は少子高齢化により、医療需要に様々な変化が起きる可能性があります。現在、私は総合診療に働く場所を移し、これまで行ってきた循環器診療との両立・融合を目指しています。循環器診療も高齢者への対応が求められています。私もこの状況は全く予測していませんでした。医学部卒業の段階で完璧な人生計画を立てることは難しいです。そのため、様々な経験を積んで視野を広げ、その時々に柔軟に対応できる能力を磨くことが大切だと思います。

塚田(哲翁) 弥生

日本医科大学武蔵小杉病院 副院長・病院教授/

救急・総合診療センター センター長・部長

1988年、日本医科大学医学部卒業。1999年、同大学付属病院第一内科(現・循環器内科)。2003年、米国スクリプス研究所分子実験医学部門客員研究員として2年間留学。2018年、同大学武蔵小杉病院にて総合診療科立ち上げのため部長として着任。

安久津 育美

日本医科大学医学部 6年

6年生になり、自分の今後のキャリアを具体的に考えるなかで、どの科に進むかなど迷いが生じていました。ロールモデルとなるような先生を見つけたいと考え、今回、塚田先生にお話を伺いました。私も自分の興味を大切にしながら、これから進む道を決めていきたいと思います。

※取材:2022年4月
※取材対象者の所属は取材時のものです。

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