好奇心を持って
一日一日できることを精一杯する
~日本眼科医会会長 白根 雅子先生~(前編)

今回は、夫の留学同行や2児の出産を経て開業し、学位も取得され、さらには女性で初めての医会会長となった白根先生に、これまでの歩みや大切にしていることについてお話を伺いました。

見えることの不思議

檜山(以下、檜):白根先生とは中学1年生のときからの大親友で、共に励まし合いながら医師として成長してきました。

女性医師は、しばしば家庭か仕事かの選択を迫られますが、先生は家庭を優先された後でもキャリアアップできることを体現されました。先生のお話に、全国の医学生も大いに勇気づけられることと思います。まずは医師を目指したきっかけをお話しください。

白根(以下、白):物心がついた頃からエンジニアの父に、「将来は職業婦人として活躍しなさい」と言われて育ちました。高校生の頃は漠然と科学者を志していましたが、親友の檜山先生が医学部を受験すると知り、「医療は科学、しかも人を相手とした一生涯の仕事」とひらめいて、私も医学部に進学したのです。

医学部では、ひときわ眼科の授業に引き込まれました。私は絵を描くのが趣味で、「見える」ことの不思議をいつも感じていたことから、迷わず眼科に入局しました。

キャリアを中断して留学

:臨床研修を終えた頃、耳鼻科医のご主人のカナダ留学が決まりました。ご自身のキャリアを中断して同行されることに迷いはありませんでしたか?

:若干の不安はありましたが、夫の研究を見聞きして学ぶことはあるだろうし、新しい世界を見てみたいという好奇心が勝り、迷うことはありませんでした。

夫の研究室のボスはフレンドリーな方で、家族ぐるみで面倒を見てくださいました。そこで、「私も眼科の勉強ができないか」と相談してみたところ、トロント大学の眼科の先生方を紹介してくださったのです。クリニカル・フェロー取得のための推薦状も、広島大学の眼科の教授が快く書いてくださいました。

当時、日本では先進的だった白内障の眼内レンズ移植は、カナダでは標準の術式でした。外国人の私にその手技を学ぶチャンスをくださった教授の寛大さには今も心打たれる思いです。他にも、カナダの多職種の専門性の高さや、混合診療の仕分け方法は勉強になりましたし、レジデントプログラムの精度の高さにも感銘を受けました。

:第一子を出産されたのは留学2年目に入られた頃ですね。海外での出産・育児は大変だったのではないでしょうか。

:カナダは社会全体で子どもを大切にする国です。夫が全面的に協力するのは当たり前で、出産前後、夫は半日勤務で家事・育児のサポートをしてくれました。どこへ連れて行っても赤ちゃんは可愛がられ、育児に困った記憶は本当にありません。

:その後、開業を決意されたきっかけは何でしょうか?

:帰国後は大学病院に戻り、関連病院で勤務しました。第二子を出産したのもこの頃です。それから数年が経ち、開業のお話が来るようになりました。勤務医の仕事に不満はありませんでしたが、自由に診療できることの魅力に加え、地域で患者さんと長く付き合っていくような医療にも関心がありましたので、36歳のときに開業しました。

インタビュアーの檜山先生と共に。

開業医と大学院生を両立

:開業後、14年経ってから大学院に入学し、学位を取得されました。

:勤務医時代、大学に戻って研究をしたいという思いはありましたが、眼科は臨床も大変で、当時の医局では「女性は研究よりもまず臨床だ」という風潮がありました。そんななか、勤務先の病院長から励ましを受け、病院の病理部でささやかながら研究に携わったこともありましたが、その時は学位を取れませんでした。研究に対する悔いを残したくなくて、50歳になる頃に大学院に入ったのです。

時間の調整がつくように、主にデータを扱うようなテーマを頂き、休診日や夕方の時間を使って自分のペースで研究を進めました。子どもたちは県外に出ていて自分の時間があり、夫も協力してくれました。

 

好奇心を持って
一日一日できることを精一杯する
~日本眼科医会会長 白根 雅子先生~(後編)

女性で初めて医会会長に就任

:その後、眼科医会の役員に、さらに会長になられました。そのきっかけや、お仕事の内容についてお聞かせください。

:開業して5年後、広島県眼科医会にお声がけいただきました。さらに2010年には日本眼科医会から役員就任を打診され、最初は遠方ですからとお断りしたのですが、説得を受け、できる範囲でとお引き受けしました。ところが、始めてみたらだんだん役割が増え、上京の回数も増えてしまいました。そこで、ウェブを使った打ち合わせを行うなどの工夫を始めました。

会長になって一期目が終わる頃、新型コロナウイルスの感染が拡大しました。そこで感染対策チームを立ち上げ、ウェブ上で情報収集や話し合いを行い、広く情報提供を行いました。眼科医会の活動もすべてウェブベースに切り替えましたが、以前からウェブを使ってきたことから導入は順調でした。ウェブを使うと、時間的・地理的なハンディキャップがある人でも無理なく能力を発揮でき、全国組織ではより効率的に仕事を進めることができると感じます。

活動としては、眼科医は全医師の4%くらいしかいませんから、プレゼンスを示すため、特に広報活動には重点を置いています。日本眼科学会と常に連絡を取り合いながら、最先端の眼科医療が国民の皆様に届くよう努力しているところです。

さらに男女共同参画においては、眼科医は各病院に少数しかおらず、その中でもさらに少数である女性医師が声を上げるのは難しい状況です。そこで眼科医会が声を集め、各所で発信するようにしています。組織に女性を一定以上の割合で入れることが第一歩で、それによって組織が開かれ発展していくことを願っています。ちなみに日本眼科医会は、理事職の26%が女性、常任理事10名中3名が女性というところまで来ています。

:女性医師ならではのメリットを感じることはありますか?

:私自身は、女性であることを意識した記憶はあまりありません。正しいと思うことを貫く姿勢は、男女を問わず人間としてあるべき姿ではないかと思っています。ただ、厚生労働省の方とお仕事をした時に、「眼科医会のトップが女性ということだけで大きなメッセージ」と言われたことは印象的でした。会長が女性であることで、眼科医会は開かれた組織というアピールになったのなら、それはメリットと言えるかもしれませんね。

:最後に、仕事と家庭を両立するためのコツを、全国の医学生に伝授してください。

:やはり夫の理解と協力があったからできたことだと思います。とはいえ、医師同士の夫婦ですから、体力的にも時間的にもキャパシティを超えることもありました。そんなときには、すべてを自分で抱え込まないで、誰かに上手に家事や育児のヘルプをお願いすることが必要です。

親も人間として未熟な頃に子育てをするわけで、完璧ではありませんが、子どもを思う気持ちが伝われば、健やかに育つと感じています。とにかく一日一日できることを精一杯する、その積み重ねではないでしょうか。

語り手
白根 雅子先生
日本眼科医会会長・しらね眼科院長

聞き手
檜山 桂子先生
日本医師会男女共同参画委員会委員・福原医院院長

No.37