医師への軌跡
医師の大先輩である先生に、医学生がインタビューします。
より良い未来のために法医学者として現実に向き合う
髙瀬 泉
山口大学大学院医学系研究科法医学講座 教授
性暴力救援センター・大阪(SACHICO) 理事・運営委員
自分だからこそできることを
福田(以下、福):先生は法医学者として、司法解剖のみならず、生きている人の虐待の損傷鑑定なども行っていらっしゃいます。また、性犯罪を対象とした研究もされています。まず、性犯罪を研究対象とされたきっかけについて教えてください。
髙瀬(以下、髙):大学卒業後の進路を考えていた時、法医学以外の科も検討していたのですが、「女性は要らない」とはっきり言われてしまいました。それまで、「自分は女性である」ということをあまり強く意識せず過ごしてきたのですが、性別という自分の努力では変えられない属性を理由に、人生の進路が左右されることがあると初めて思い知らされたのです。
この経験を経て、自分の意思を社会に反映しにくい立場にある人たちのための仕事がしたいと考えるようになりました。当時の私と同世代の女性たちが性暴力の被害に遭って苦しんだり、時には亡くなったりする現実に対して、私だからこそできることがあるのではと考え、博士論文で性犯罪の実態を知るための研究を行いました。被害者への対応経験がある医療者や、性犯罪担当の警察官にアンケートを行い、被害件数の暗数をある程度出せないかと考えたのです。
福:悲惨な事件の解剖や鑑定を行う際、冷静な視点を保つ難しさを感じたことはありますか?
髙:最初の頃は当然、加害者への強い怒りがありました。ただ、様々な事件を見るうちに、加害者に怒りを向けるだけでは解決しないことがわかってきました。性犯罪や虐待を傍観しているだけの周囲にも問題があります。また、児童虐待に関しては、加害者である親自身が虐待を受けてきたケースも多いです。虐待の連鎖を生む社会そのものを変えなければ解決には至らないと思うようになりました。
この仕事は辛い事件と向き合わなければならないので、選択する人は決して多くありません。「他の人がやらないなら私がやるしかない」という使命感のようなものがあるからこそ、続けているのだと思います。
“幸せな法医学者”として
福:先生は現在、性犯罪に対して具体的にどのような取り組みをされているのでしょうか?
髙:性暴力救援センターでは、産婦人科と法医学における所見に関する用語の統一を進めています。裁判の際に微妙な表現の差異が議論の対象となり、重要な争点がずれないようにするためです。現在の日本の法律では、性犯罪の成立には暴行や脅迫の立証が必要ですが、それができずに加害者を罪に問えない場合も少なくないため、中立公正性に気を配らなければなりません。
近年、明治時代に制定された刑法が変わり、性犯罪の定義が見直されました。また親などの監護者が子どもへの性的虐待を行った場合、暴行や脅迫がなくても処罰されるようになりました。課題は残りますが、絶対に変えられないと思っていたものが変わる瞬間を見ると、私にもまだできることがあるという気持ちになります。法医学者という立場から、性犯罪の被害者が裁判で適切に扱われる仕組みづくりをより進めていきたいです。
福:最後に、先生が法医学者として歩むために、心がけていることを教えてください。
髙:まず何よりも、自分自身が安定した人生を送ることができなければ、大変な事件を扱う余裕はないと思います。そのため、私は日常生活の中で自分なりのささやかな幸せを見つけながら、“幸せな法医学者”として生きることを目標としています。
皆さんもぜひ、ここまで教育を受け、成長できたことを当たり前と思わず、周囲への感謝の気持ちを忘れずにいてほしいですね。そして、大学以外の社会活動をするなど、無理のない範囲でいいので社会を少しずつ変えられるよう、働きかける方法を探してみてほしいと思います。
髙瀬 泉
山口大学大学院医学系研究科法医学講座 教授
性暴力救援センター・大阪(SACHICO) 理事・運営委員
1998年、大阪医科大学医学部卒業。2004年、東京大学大学院医学系研究科博士課程法医学修了(医学博士取得)。同年、大阪医科大学法医学教室助手。2006年、滋賀医科大学社会医学講座法医学部門助手。2008年より同大学学内講師。2009年、山口大学大学院医学系研究科法医学分野講師。2020年より現職。
福田 佳那子
山口大学医学部医学科 4年
法医学講座に所属し、異状死の遺体解剖補助や性被害に遭われた方の鑑定報告書の整理などを行う。事件や事故の被害を医学的根拠を基に整理することにより、二度と悲惨な事件や事故を繰り返させないよう啓発していくことを目標としている。
※取材:2022年1月
※取材対象者の所属は取材時のものです。
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