医師への軌跡

行政の視点に、病院という組織を
もっと良くするヒントがあった
西脇 聡史

西脇先生

臨床から医系技官の道へ

血液内科の臨床医として骨髄移植に携わっていた西脇先生は、卒後9年目のとき骨髄バンクの創設者である日本造血細胞移植学会の理事長に誘われ、厚生労働省に医系技官として赴任した。「移植に用いる造血幹細胞の適切な提供の推進に関する法律」の立ち上げに携わるためだ。この法律は、骨髄バンク・臍帯血バンク・日本赤十字社などの機関が別々に行っていた連絡調整や情報管理などの業務を一本化し、安全基準を定めることで、造血幹細胞の適切で安定的な供給を目指したものだ。

「それまで、骨髄バンクや臍帯血バンクの活動は、創設者である先生方の情熱で続いてきたようなところがあり、基盤としては弱い部分も少なくありませんでした。その先生方も引退されつつある状況で、これからもバンクが継続的に活動していくためには、ベースラインを整えることが必要でした。そのためこの法律ができることは、現場で医療に携わる僕たちにも大きなインパクトのあることでした。お声がけいただいたときは驚きましたが、臨床家として法律に意見できるのは魅力的でしたし、移植分野の大きな転換期に携わることができるいい機会だと思い引き受けました。」

様々な立場からの意見を調整

西脇先生に求められた役割は、臨床・学会・行政のそれぞれの意見を調整していくことだった。

「実際に赴任してみると、臨床の視点と行政の視点は全く異なることがわかりました。互いの用語や文脈が通じないと感じることも多く、文字通り『言葉の壁』があるなと感じました。けれどしっかり話をすれば、それぞれが何を大事にしているかがわかるものです。
それまでは臨床側や学会側の視点しか持っていませんでしたが、厚労省で働いてみて、行政や医師会、さらにはボランティアなど、臨床家以外にもたくさんの人たちが医療を支えていることに気づかされました。それぞれの意見が食い違うこともありますが、制度を作る際には日本の医療全体を考え、大きな目標を見失わないようにすることが大事だと感じました。」

自分がいなくても回る体制を

2年の任期を終えて臨床の現場に戻った西脇先生だが、今後はどのようなビジョンを描いているのだろうか。

「この豊橋市民病院で1年以内に骨髄バンクの認定施設基準を満たし、僕がいなくなっても回るような体制を整えていくことを目標にしています。というのも、厚労省という大きな組織で働いてみて、組織は誰か一人が抜けたら回らなくなるようではいけないと気づいたんです。病院もひとつの組織なので、特定の個人や部署に依存しない形にしなければと思っています。愛知県東部には、この病院以外に移植可能な血液内科のある大きな病院がありません。そのため一定の診療実績を積んで認定を受けることができたら、患者さんのためにも病院のためにもなると思うんです。また、認定施設になれば、結果的に血液内科を志す若手や研修医が集まってくるようになる。そこから次の世代に専門性を引き継いでいけたらと思っています。」

 

医系技官とは

医師免許・歯科医師免許を有し、専門知識をもって公衆衛生や保健・医療制度などに関する行政業務を担当する公務員。現在、200名以上の医系技官が厚生労働省をはじめとした関係省庁、WHOなどの国際機関で、日本の保健・医療制度を支えるために活躍している。
臨床研修を修了した医師・歯科医師が筆記・面接などの試験を経て採用されるのが一般的だが、西脇先生は「移植に用いる造血幹細胞の適切な提供の推進に関する法律」案が平成24年6月に国会に提出されたことを受けて、専門医として臨床に携わる立場の人材として、学会からの推薦で急遽赴任した。

西脇 聡史
豊橋市民病院血液・腫瘍内科副部長/輸血・細胞治療センター副センター長

2004年、名古屋大学医学部医学科卒業。名古屋第一赤十字病院で臨床研修後、血液内科医員として入職。大垣市民病院血液内科、名古屋大学医学部附属病院血液内科で勤務。2012年、研修医時代からの恩師に声をかけられ、厚生労働省健康局疾病対策課臓器移植対策室に医系技官として赴任し、「移植に用いる造血幹細胞の適切な提供の推進に関する法律」の施行に携わる。2014年7月より現職。
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