専門家に聞いてみよう―
ネガティブな感情と付き合う(前編)

自分の感情に向き合えないと仕事の意味が見えなくなってしまう

――先生は看護の分野で、看護師が患者さんの様々なライフイベントに直面し、患者さん本人やその家族の感情の揺れ動きに対応しながら働いていくこと(感情労働)のストレスについて研究されていますが、その考え方は同じ医療職である医師にも適応できるものでしょうか。

武井(以下、武):そうですね。一般に医療職は、死や病気といった、人が最も避けたい事態の救い手として期待されています。それだけで、期待や責任の大きさは尋常ではありません。特に医師は、絶対的な責任を負う立場として、大変なプレッシャーを受けていると思います。ただ、医師になろうと思った人自身も、患者さんや家族から「救世主」のような立ち位置を期待されることを想定しているだろうし、そうなりたいという思いを持っていたと思います。しかし当然ながらどうしても患者さんを救えない状況にぶつかってしまう。それはショックなことでしょうし、傷つくこともあると思いますが、立場上ショックを受けていることを見せられなかったり、うまくできなかったとは言えないという場面も多々出てくるでしょう。

加えて、医師の世界はこれまで男性社会で、知的能力が評価される一方、素直な感受性や共感性などは一種の弱さと周囲にみなされる場合が多いのです。医師自身もそう思い込んでおり、感情を発露する機会が少なくなっていたのです。例えば、手の施しようのない患者さんに対して、申し訳ないと感じても、それを表に出さず、「仕方がない」とやりすごそうとする。こうして自身の感情と向き合うことを避けようとすると、いつしか患者に近づくのを避けたくなるのです。そうするとメンタルヘルスが向上するのかというとそうではありません。むしろ、むなしさや孤独感、不全感が残っていきます。そして、「少しでも人の役に立ちたい」という思いを持ってなったはずの医師が、「何のために苦労をして、きつい勤務をしているのか」と思うようになり、仕事にやりがいも誇りももてなくなってしまうのです。目的がはっきりしていて、苦労に意味があると思えれば続けていけるのに、それがないから辞めてしまう…ということはあると思います。

弱さを発露する体験が仕事上の不全感を解消する

――では、仕事上の不全感をどう解消していけばいいのでしょうか。

武:キーになるのは、自分以外の誰かに弱さを発露し、受け止めてもらう体験をもつことだと私は考えています。ただ最近の若い世代は、人に頼るのはいけないと考えていて、弱さを見せることに慣れていないようです。例えば私は看護大学で臨床実習を行う際、「助けを求める」ということも目的のひとつとして設定しています。記録やカンファレンスでは、困ったことやわからなかったこと、どうしたらいいかわからないことを共有するのが重要です。ところが学生は、「助けを求める」こと自体が目的になってしまって、「どのように助けを求めたらよいかわからなかった」と言うのです。「弱音を吐く」ことが「助けを求める」ことになるんだよと思うのだけれど、どうもそれが結びつかない学生が案外多いんです。別に改まって助けをお願いしなくても、ため息をついたり、ポツリとでも自分の困ったところを表現すれば、自ずとそれが相手に伝わって助けが得られるはずなのに、そういった日常的なやりとりのなかで伝えあうということができていないのでしょう。

こうしたなかでは、感受性を高めるためのサポートが必要でしょう。具体的には、多様な職場・診療科・職種のスタッフが集まって、事例検討会などの場を設けることなどが挙げられます。様々な立場の人が集い、データがない中で自分の体験した事例を提示してみると、いろいろな人がそれぞれの見方を提供してくれます。それによって、「そういう見方もあったんだ」「そう感じる人もいるんだ」というふうに、感受性の持ち札が増えていくのです。医師のカンファレンスは診断・治療の方法に関するものに終始しがちなので、もっと雑談に近いような、自分の感じたことを気軽に語れる場があるといいですね。そういう機会が、自分がどんなふうに感じやすいのか、どこを変えていけばいいのかという気づきを生み、結果的に、自分自身を知ることにつながるのです。

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