医師への軌跡

医師の大先輩である先生に、医学生がインタビューします。

アカデミック・サージャンとして患者さんのために挑戦を続ける
根本 慎太郎
大阪医科薬科大学医学部 外科学講座 胸部外科学教室 専門教授
大阪医科薬科大学病院 小児心臓血管外科 診療科長

心臓外科医を軸として

岡﨑(以下、岡):まず、先生が心臓外科を志したきっかけは何だったのでしょうか?

根本(以下、根):学生時代の実習で見た、心室中隔欠損症の赤ちゃんの手術でした。その時、人命に直結する心臓という臓器の神秘に魅せられ、治療に直接携わりたいと思い、心臓外科を選びました。臨床研修では病院に住んでいるような生活で、多忙な日々でしたが、だからこそできることが一つずつ増えていくのが面白いと感じました。

経験を積むうちに、他科の医師や他職種と協働すれば、各自の負担は減り、提供できる医療の質は向上すると手応えを感じました。心臓外科を軸にしつつ、自分のライフステージに応じて関心のあることに取り組もうと決めたのもその時期です。

:その後、アメリカで基礎研究に携わられたのですね。

:手術を重ねるなかで心臓と病態をより深く知りたいと思い、外科医として一通りの経験を積んだ9年目に留学を決意しました。留学先では、生理学と分子生物学からメカニズムを探る実験に数多く携わりました。動物実験モデルを作る際などに外科医としての技術や経験が重宝され、様々な研究者に出会うこともできました。

しかし外科医であったため基礎的な知識が抜け落ちており、英語の教科書の図表のコピーをトイレの壁など様々な場所に貼るなど、必死に勉強しました。

:その後、他の国々でも研鑽を積まれたのはなぜですか?

:そのままアメリカに留まり、研究を続けることもできたのですが、直接患者さんに関わる本来の目的に戻りたいと思い、外科医に戻る決心をしました。

最終的には自分が術者として責任を持ってチームを引っ張れるようになりたいと考え、世界の標準を知るために、今まで論文や教科書などで参考にしていた施設に応募しました。メルボルンで手技の訓練をし直した後、アジアで最も手術数の多いクアラルンプールで、術者としての経験を積みました。

:先生は帰国後、医療機器開発にも携わっていますね。

:基礎研究の経験を、直接治療に活かせると考えて始めました。実際にやってみると、企業と関わったり、実用化に向けて様々な勉強をしたりと、自分の世界が広がるのを感じます。

:先生のその原動力の源には何があるのでしょうか?

:アメリカ留学中、ボスから頂いた「慎太郎はアカデミック・サージャンを目指せ!」という言葉を大切にしています。実際に心臓を触ることのできる外科医にしかできない研究をせよという意味で、今になって何とかたどり着いたように感じています。このリサーチマインドを忘れずに、自分は外科医として患者さんのために何ができるかを臨床でも常に考えています。

追い越される日を楽しみに

:大阪医科大学(当時)に赴任されたきっかけについてお聞かせください。

:臨床と研究を同時に実践できる場を探していた頃、声を掛けてもらいました。実際に赴任してみると皆大人しく、自分にもっと自信を持っても良いのではと感じました。そのため、刺激を与えて成長できる環境を作りたいと思うようになりました。

:具体的には、どのようなことをお考えなのでしょうか?

:学生たちには殻に閉じこもらず、他大学とのコラボレーションや企業との産学官連携など、幅広い可能性があることを伝えたいと思っています。一度でも成功体験を積めば、視野が広がった若者たちは自ら様々な挑戦を始めてくれます。国家試験突破のために勉強することも大切ですが、医療イノベーションを生み出せるような新しい視点も養って欲しいです。やる気のある教え子たちに、追い越される日が来るのを楽しみにしています。

根本 慎太郎
大阪医科薬科大学医学部 外科学講座 胸部外科学教室 専門教授
大阪医科薬科大学病院 小児心臓血管外科 診療科長
1989年、新潟大学医学部卒業。同年、東京女子医科大学附属日本心臓血圧研究所外科入局。1997年、サウスカロライナ医科大学、ベイラー医科大学で研究に従事。2002年、メルボルン王立小児病院心臓外科上級外科フェロー。2004年、マレーシア国立心臓病センター心臓血管胸部外科上級外科医。2006年、大阪医科大学(当時)外科学講座胸部外科学教室助手。2014年より現職。

岡﨑 早也圭
大阪医科薬科大学医学部 5年
他の学部の学生と話していると、医学生としての自分の視野の狭さを痛感することがあります。大阪医科薬科大では現在、根本先生をはじめ、様々な先生方が教育や臨床に関する改革を進めてくださっていますが、私自身も海外留学などに興味があるため、ぜひ自分から行動を起こしてみようと思いました。

※取材:2021年7月
※取材対象者の所属は取材時のものです。