日本医師会の取り組み 
産業保健に関する日本医師会の取り組み

神村裕子日本医師会常任理事に、産業医の全国組織化に向け日本医師会がどのような取り組みをしているかについて聴きました。

産業医に求められるもの

――日本医師会の産業医に関する取り組みについて教えてください。

神村(以下、神):産業医になるには、医師免許に加え、労働者の健康管理等を行うのに必要な医学に関する知識について、労働安全衛生法で定める一定の要件を備える必要があります。日本医師会または産業医科大学の研修を修了し、産業医資格を取得する方法が一般的です。

日本医師会には所定のプログラムに基づく研修を修了した医師を「日本医師会認定産業医」に認定する制度があり、認定の更新や産業医の資質向上、産業医活動の推進を図っています。

――産業医にはどのようなことが求められるのでしょうか?

:以前の産業医の仕事は、工場の安全管理など労働災害を防ぐことが中心でした。それがこの20年くらいの間に、従業員のワーク・ライフ・バランスに配慮し、個人の健康を見ていく方向に変わっています。

例えば「自分は健康だ」と思って働いている人でも、健康診断の結果を見ると数値が悪い場合は、診察を受けるよう勧めたり、生活習慣のアドバイスをする必要があります。その際、医学教育の中で学ぶような、患者さんを相手にする医療とは異なる知見も求められます。様々な社会的背景に深く関心を持つことも必要ですし、普段から円滑にコミュニケーションが取れるような人間関係を築くことも大切です。これまでの診療や病棟での交流の経験が活きる仕事です。

また、近年は外国人技能実習生など多様な背景を持つ人たちと関わる機会もあります。私自身、言葉がなかなか伝わらないときに、翻訳アプリなどを使って時間をかけてコミュニケーションをとったところ、距離を縮めることができた体験があります。日本医師会としても産業医の資質向上に向け、オンライン研修などが実施できるよう目下検討中です。

産業医の全国組織化

――現在、日本医師会が進めている産業医の全国組織化について聴かせてください。

:これまで産業医一人ひとりの声を拾えていなかったことへの反省から、郡市区等医師会や都道府県医師会レベルで産業医の声を集め、日本医師会がそれぞれの産業医部会などを束ねる組織として、「全国医師会産業医部会連絡協議会」を設立しました。協議会では、産業医が安心して産業医活動に専念できる環境・体制づくりに向け、各都道府県医師会に設置されている産業医部会などを活用し、日本医師会主導で産業医の全国ネットワーク作りをサポートしています。具体的な活動内容は、各種研修などスキルアップのサポート、情報提供、相談対応、事業場紹介などです。

組織化に先立ってアンケート調査を行ったところ、それぞれの地区によって産業医の需給が随分違うことが判明しました。まずは産業医の需要が多い首都圏を中心に、産業医の斡旋や契約前後の事務サポートなどの様々な対応を、信頼できる民間事業者に依頼するモデル事業を始めたところです。

――最後に、産業医に興味のある医学生へメッセージをお願いします。

:産業医に大切なことは、継続的に地域とつながっていくことだと私は考えています。地域の医師会に入っていただくと、そのつながりを作りやすいのではないかと思います。

また、連絡協議会のサイト*では研修会や求人など様々な情報を発信しています。産業医について理解を深め、ぜひ将来の選択肢の一つにしていただけたらと願っています。

 

*全国医師会産業医部会連絡協議会のサイトはこちら

https://www.sangyo-doctors.gr.jp/

 

 

私と医師会活動
地域とのつながりを大切に
産業保健の仕組みづくりに取り組む

―神村常任理事は子育てと並行してキャリアを積まれるなかで、様々なご苦労があったそうですね。

:私には3人の子どもがいます。尊敬する女性医師が3人のお子さんを育てていたので、3人ならキャリアと並行して子育てをしても大丈夫だろうと思っていたのですが、子どもがそれぞ歳、3歳、5歳の時に離婚をしたこともあり、これまで様々な苦労がありました。

まず、当時は研修制度が確立される前だったため、卒業後は医局に所属し、教授の意向で各所に勤務することになっていました。しかし、私は子どもがいるためフルタイムでは働けず、なかなか仕事先が見つかりませんでした。

また、当時は育児休暇の体制も整っていなかったため、産後は3か月で復帰したのですが、子どもの預け先をどうすれば良いのかがわからず、途方に暮れることになりました。幸い、当時の職場の看護師さんから紹介してもらった保育ママさんに預けることができました。

一人で3人の子どもの育児をするのは大変でしたが、3人いて良かったと思うのは、自分が仕事で不在のときはお互いを支え合ってくれたことでした。一番下の子が幼稚園に入った頃には、時々夜勤もできるようになりました。

一番大変だった時期は子どもたちが中高生の頃でした。勤めていた有床診療所の院長が亡くなったため、一人ですべての診療を行わざるを得なくなったのです。サポートの先生が来るまでは病院に泊まり込み、家には朝と夜に食事を作りに帰るだけという生活を送りました。

子どもたちには苦労をかけたと思っていますが、私の姿を見て育ったことで、母親が仕事をするということを息子も娘もポジティブに捉えているようです。

―臨床医から、日本医師会の常任理事になるまでの経緯をお聴かせください。

:市の医師会に入ったのは、有床診療所に勤めていた42歳の頃でした。当時は大学での研修の機会が少なかったため、地域で製薬会社が主催する勉強会などに週1回ほど参加していました。女性医師がまだまだ珍しい時代で、勉強会に女性医師が参加すること自体が目立ったのか、地域の先輩医師から医師会への入会を勧められました。

市の医師会の理事になったのは、先輩女性医師である理事からの打診がきっかけでした。私も地域のつながりによって多くの先輩方から助けられてきたので、同じように地域の医師をサポートしたいと思い、理事を引き受けました。

―その後、県医師会を経て日本医師会の常任理事になりました。今の立場での抱負などをお聴かせください。

:国の医療体制に関わる立場となり、今まで見えなかったこと、知らなかったことも多く大変ですが、同時期に新任常任理事となった先生方と共に、励まし合いながら務めています。

私が大事にしている分野の一つが産業保健です。どうすれば産業保健に関わる医師たちがより働きやすく、研修を受けやすくなるかを常に思案しています。具体的なゴールがあるというよりも、どのような方向を目指して政策を打ち出していくのかが大事だと思っています。

また、日本医師会の役員になって、自分が東北出身であることを強く意識するようになりました。全国の医師会の状況を知り、東北の医師たちももっと積極的に動くべきだと感じるようになったのです。今は日々の仕事が忙しく、ここでの知見を十分に持ち帰ることができていませんが、今後は、人口も医師も減少傾向にある東北という地で、新しいビジョンをいかに作っていくかということに、取り組みたいと考えています。

神村 裕子
日本医師会常任理事

 

※取材:2021年11月
※取材対象者の所属は取材時のものです。