人々の命を救うため
現地のニーズに合わせた医療を提供する
~救命救急医 中山 惠美子先生~(前編)

災害医療への第一歩は大震災
藤巻(以下、藤):まず、国境なき医師団(Médecins Sans Frontières:MSF)に入るまでの経緯をお聴かせください。
中山(以下、中):そもそも医師を目指したのは、小さな頃から漠然と人助けができる仕事をしたいと考えていたためでした。
亀田総合病院で救急科の後期研修医になってから、災害医療を専門にすることを考えるようになりました。院内でも災害訓練などを主導し始めた頃、東日本大震災が発生し、現地に赴いたことで本格的に災害医療を専門とする決心をしました。
その後、短期の災害救援活動とは性質が異なるものの、資源のないところに医療を提供するという点では、海外での医療支援も災害医療の一つのあり方であると考え、MSFに参加を決めました。参加前の準備として、亀田総合病院の産婦人科で産科救急を、東京都立小児総合医療センターで小児救急の研鑽を積みました。

インタビュアーの藤巻先生。
国境なき医師団での活動
藤:MSFの活動には、どのように参加するのでしょうか?
中:まず履歴書を送り、書類審査に合格したら、活動に参加できる期間を自分から申し出ます。その期間にニーズのある地域とマッチングされ、現地に派遣されます。派遣期間中は旅費と滞在費に加えて少額の給料も支給されます。あくまでも医師の自主性に基づく活動のため、現地の活動での安全性に不安があれば、オファーが来ても断ることができます。
藤:先生はどのように活動に参加されたのでしょうか?
中:MSFに初めて参加したのは2013年10月で、アフガニスタン北部のクンドゥースで半年間、集中治療の責任者としての任務に就きました。
帰国後の1年間は日本に留まるつもりでしたが、およそ半年後、人手不足と聞いてシエラレオネのポーへ行き、エボラ出血熱の治療にあたりました。自分の専門と異なることや感染のリスクなどもあり、参加には慎重になるべきという周囲の意見もありました。特に、両親が納得するまでには1か月ほどかかりました。エボラ出血熱には治療法がないため、現地では疼痛管理と補液、合併症の治療などをひたすら行いました。エボラ出血熱の終息後も再び訪れ、医療体制の再建に携わりました。
次に赴いたイラクでは、外傷病院で教育や手技など現地の医師をサポートしました。比較的安全な地域で、決められた場所内では気軽に外出もできました。
毎回、MSFとして活動していない期間は亀田総合病院で勤務するという形でした。
人々の命を救うため
現地のニーズに合わせた医療を提供する
~救命救急医 中山 惠美子先生~(後編)
公衆衛生学の必要性
藤:MSFの活動を通じて、どのようなことを感じましたか?
中:エボラ出血熱の治療センターでは1週間も患者さんが来ないこともありました。一方、センターの外には、エボラ出血熱であってもセンターに来られない患者さんがたくさんいるという現実を目の当たりにし、需要と供給の不一致を実感しました。
院内で医師だけが頑張っても医療が良くなるわけではないと感じるなかで思い出したのが、東日本大震災の際に出会った石巻市の保健師さんの存在でした。公衆衛生学の必要性を痛感し、体系的に学ぶためにロンドン大学に留学しました。途上国の母子保健をテーマに論文を書き、修士号を取得しました。
この留学で良かったことは、途上国への医療介入が果たして良いことかどうか、科学的に評価していく必要があるという気付きを得られたことです。また、公衆衛生学はあくまでも政策立案者を変えるための学問であり、政策立案者の態度が変わらなければ意味がないため、彼らを説得することが公衆衛生の専門家の役割であるという視点を得たことは大きな収穫でした。
藤:修士号取得後はどのような活動をされたのですか?
中:夫はドイツ人の看護師で、イラクでのMSFの活動を通じて知り合ったのですが、その後も様々な場所で活動を共にしました。国際協力機構(JICA)関連のプログラムでバングラデシュの医療援助をしたり、クルーズ船の医療スタッフを務めたりしました。その後、再びMSFの活動で一緒にアフガニスタンを訪れ、私は病院責任者という立場で病院全体のマネジメントをしました。
コロナ禍になってから結婚を決め、ドイツでの暮らしを経て、現在は日本に住んでいます。私は亀田総合病院系列の安房地域医療センターで常勤医として週に3~4日勤務し、夫はオンラインでドイツの大学に通いながら日本語の勉強もしています。
藤:今後はどのように活動されるご予定ですか?
中:当面は、地域の人たちとの地域保健に関する基盤づくりのため、1~2年は日本にいるつもりです。修士号取得後は余暇の時間も少しずつ持てるようになったので、旅行したりのんびりしたり、仕事以外の人生も持ち始めたと感じています。
ドイツでは、自分が主婦をして夫が働いていたのですが、日本ではその逆をしています。今は子どもはいませんが、もしも子どもができても、そのとき自分がやりたいことをやりながら、状況に合わせて柔軟に働き方を考えていきたいと思っています。
目指す医師像を明確に
藤:MSFに興味のある学生や若手医師は、どういったことから始めれば良いと思いますか?
中:MSFの活動には、一度参加できたとしても、継続するには様々な困難があります。同じ病院に所属し続けるには理解してもらうことが必要ですし、活動中の臨床能力は、日本での最先端を維持する臨床能力とは違うものが求められます。ですから“最先端”の臨床能力維持が困難になってしまうのです。そのため、自分の医師としての人生をどうしたいか熟考することが重要です。
さらに、家族の理解も大切です。MSFでの活動が自分の生きがいであると、時間を掛けて伝えていくのが良いと思います。私自身も3年掛けて少しずつ両親の理解を得ることができました。
また、MSFに参加を決めても、まず自分が医師として今後何をやりたいのかを第一に考え、それができる科に進み、専門性を持つことが大事だと思います。そのうえでMSFの活動において自分の専門性をどう活かせるかを考えていくのが望ましいと思います。
ぜひ、どのような人を助けられる医師になりたいかを考えて将来の道を決めてほしいです。そして、人生のなかではそれが変容していくことがあってもいいとも思っています。もしMSFの活動に興味があれば、イベントや説明会もあるので、ぜひ参加してみてください。
(右)クルーズ船乗船時の中山先生ご夫妻。
語り手
中山 惠美子先生
安房地域医療センター
聞き手
藤巻 高光先生
日本医師会男女共同参画委員会委員
埼玉医科大学脳神経外科教授
※取材:2021年10月
※取材対象者の所属は取材時のものです。



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