
ダイバーシティってなに?(前編)
ダイバーシティと「働き方改革」
それではまず、ダイバーシティの意味について考えてみましょう。
医師の世界でダイバーシティというと、働き方改革や男女共同参画、女性医師支援などに関する取り組み、といった文脈で語られることが多いようです。しかし、ダイバーシティの本来の意味は、「女性が働きやすくなるための取り組み」だけではありませんし、もっと言えば「働き方」に限定されるものでもありません。
そもそもダイバーシティとは、「多様性」や「多様である状態」という意味の言葉です。これを社会や組織に当てはめると、「社会や組織に多様な人々が存在している状態」だと言い換えることができます。そう考えると「働き方改革」は、「様々な属性を持っている人が、一人ひとり、組織で十分に力を発揮して働くための環境整備」、すなわちダイバーシティを高めるための手段だとも言えるでしょう。
働き方改革が重要なのはもちろんのことですが、単に労働時間を短縮するといった画一的なアプローチでは、ダイバーシティを高めることはできません。一つの手段にとらわれるのではなく、一人ひとりの持つ多様な属性に応じた柔軟なアプローチが、今後はますます求められるのではないでしょうか。
「当たり前」を問い直す
それでは、社会や組織に「多様性がある」とは、具体的にどういうことを指すのでしょうか。例えば皆さんの同級生を見渡しても、性格も考え方も違えば、育ってきた環境も違います。その意味では、既に「多様性がある」と言えなくもないのですが、もう少し深く掘り下げてみましょう。
この世界には、様々な属性を持った人がいます。その属性も無数にあり、性別・セクシュアリティ、年齢、信仰や思想信条、国籍や母語とする言語、出身地、学歴、身体的な機能…など、様々なものが挙げられます。
さて、ある組織に、これらのうち限られた属性の人しか存在しない場合、また特定の属性の人しか組織の中核的な役割を担っていない場合、その組織には多様性がないと言えます。こうした組織では、特定の属性の人が優遇されて、それ以外の属性の人が排除されている可能性があります。
もちろん、特定の属性を選び取り、それ以外の人を排除することは、組織の維持や目的の達成のためにある程度は必要なことです。例えば、医師になるためには医学部を卒業し、医師国家試験に合格しなければなりません。小学校の運動会では、足の速い人ほどリレーの選手に選ばれやすくなります。こうした選好はごく当たり前に行われており、不当だと考える人はほとんどいないでしょう。
しかし、「当たり前」という言葉の前に思考停止するのは危険なことです。私たちには、「なぜその属性の人が〈優遇・排除〉されるのか」という理由を常に見直し、そこに本当に合理性があるかどうか問い続けることが必要ではないでしょうか。
例として、「男性」「女性」という属性について考えてみましょう。「女性医師は出産や育児で第一線を離れるかもしれないから、男性医師を多くするべき」という考え方は、はたして「当たり前」のことでしょうか。女性が第一線を離れてしまう大きな理由は、結婚や出産により、家事や育児の負担が増えるからでしょう。しかしそれは、その人が「女性だから」生じていることではなく、家事や育児を担う人が働きにくい、という現在の職場環境がもたらしていることです。そして、「女性」という属性と「出産や育児で第一線から離れてしまう」という事象の結びつきを支えているのは、社会に根強く残る「女性が家事・育児を担うべき」という性役割の考え方です。
この話は「男性」「女性」という属性に限った話では決してありません。今では社会や組織で「当たり前」とされていることも、実はどこかの時点で生み出された、合理的でない考え方かもしれないのです。今ある「当たり前」を見直し、合理的でない優遇や排除を減らしていくことができれば、より多様な人が働きやすい組織にすることができるはずです。そうなれば、社会や組織の多様性も自然と高まっていくのではないでしょうか。

ダイバーシティってなに?(後編)
公平性を担保し、格差を埋める
ダイバーシティを推進する意味は、一体どこにあるのでしょうか。まずは、公平性の担保という点が挙げられます。
もともとこの世界には、ありとあらゆる属性の人が存在しているはずです。しかし、近代以降の日本では、「教育を受けた、日本語を母語とする、健康な(ヘテロセクシュアル*の)男性」という属性を持つ人たちが、主に社会の仕組みを築き上げてきました。そしてその果てに、「専業主婦に家事・育児を任せて、企業で長時間働く」という〝昭和〟的な労働観が形成されたのです。
その結果、女性や障害のある人、日本語を母語としない人といった様々な人たちが、仕事を続けたり、社会の中心で活躍することが難しい状態が生じました。マイノリティの声は届きにくくなり、社会は変化の機会を失って、ますます一様になっていく…ということが繰り返されてきました。
しかし近年、インターネットやSNSの普及なども相まって、マイノリティが声を上げ、意見を述べることができるようになってきました。この社会においてマジョリティは自然と優遇される立場にあること、マイノリティは相当な努力をしてもマジョリティと同じ立場に立つのは難しいということ、それゆえにマイノリティはマジョリティよりもずっと生きづらいということが、徐々に白日のもとに曝されるようになりました。
ダイバーシティは、マイノリティとマジョリティの格差を埋めていき、できるだけ多くの人が同じように社会や組織で活動できるようにするために必要なことだと言えるでしょう。
イノベーションが起こり、社会が発展する
また、ダイバーシティを推進することは、社会や組織にとっても益があります。
例として、消防士の採用について考えてみましょう。消防士というと、高いはしごを登ったり重たいホースを持ったりといった力仕事が多く、屈強な男性が多い印象があるでしょう。そこに、消防士志望で、やる気と知力には優れているが、体力や筋力の劣る女性が応募してきたら――。あなたがもし採用担当だったら、その人たちを採用しようと思いますか? これまで通り屈強な男性を採用した場合、仕事のあり方は変わらないでしょう。しかし、そうでない人たちが採用されたとしたら、例えば体力や筋力に依存した消防活動が見直され、力が弱い人でも利用できる道具が新たに開発されるなど、新たなイノベーションのきっかけになるかもしれません。
このように、多様な人が活躍できる環境を作ろうとする過程で、一様な組織においては起こり得なかったシステムの変化が起こり、組織が、そして社会が発展していくとも言えるのです。実際、近年は「多様性のある組織の方が、ない組織よりもうまくいく」ということが知られるようになり、多くの企業で「多様な人材を活用して組織の業績や競争力を上げていこう」というダイバーシティ・マネジメントの考え方が浸透し始めています。
このように考えると、医師の世界においても、ダイバーシティが高まっていくことは重要な意味を持つでしょう。医師たちが長時間懸命に働くことで医療を何とか支えている今の状態が続けば、いずれシステムは破綻してしまいます。今の医療のあり方や医師の働き方を当たり前と捉えず、多様な人が関われるシステムを作っていこうという取り組みは、結果的に医療の新たな可能性を生み出したり、持続可能なシステムが形成されることにつながっていくはずです。
医療の世界が多様性を受け容れる持続的なものに変わっていくことは、医学生の皆さんにとっても有益なことであるはずです。皆さんの中には将来、子どもを持つ人もいるでしょう。親の看病・介護をするようになったり、自分自身が身体障害を持つとか、がんに罹ることもあるかもしれません。単にちょっと休みたくなったり、音楽活動など、医師以外の活動にも本格的に取り組みたくなったりするかもしれません。このように、様々な属性を新たに獲得したうえで、それでも医師として充実感を持ちながら働き続けられる。そんな懐の深いシステムがあったら、素敵だと思いませんか?
「マイノリティ」って何だろう?
本文ではダイバーシティについて、「マイノリティとマジョリティの格差を埋めていき、できるだけ多くの人が同じように社会や組織で活動できるようにする」ための取り組みだと述べました。ではここで、「マイノリティ」という言葉の意味について整理してみましょう。「マイノリティ」(正確には「マイノリティグループ」)とは、ある属性を持つために、社会や組織において中心的・支配的な集団から区別され、下に見られたり軽視されたりし、政治的・経済的・社会的に弱い立場に置かれている人たちのことです。直訳すれば「少数者・少数派」という意味になりますが、これは単なる人数の話ではないことに留意してください。『社会学小辞典』(濵島・竹内・石川、2005)によれば、マイノリティは「①集団の規模、②多数者集団ないし優勢者集団(majority group, dominant group)との軋轢ないしは共同生活からの除外の程度、③優勢者との関係を支配する社会秩序、④両集団間で調整が必要とされている目標、によって規定される」(p.301)とされています。例えば、大学教育を受けて一流企業の高い役職に就いているような人たちは、人数こそ少ないですが、「マイノリティ」と呼ぶのは適切ではないでしょう。
*ヘテロセクシュアル…異性愛者。異性に対して恋愛感情を寄せたり、性的な欲求を感じる性的指向(セクシュアリティ)を持つ人のこと。対義語:ホモセクシュアル(同性愛者)



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- 医師への軌跡:中野 弘康先生
- Information:Spring, 2019
- 特集:医師とダイバーシティ
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